2019年9月27日金曜日

“真実”を求めて

 今日は休みであったのだが朝からお腹が痛く、キリキリとした痛みで、起きていたら治るだろうと思っていたのだが、一向に収まらなかったのでもう一度寝たら治ったのである(笑)。最近といったらいいのかわからないが、どうも体調があまり良くないような気がするのである。別に風邪を引いたわけでもなく、悪いところがあるというわけでもなく、ただ何となくである。これはもう疲労によるものだと思い込んでいるのだが、寝ても寝ても寝足りないくらいである。昨日だって8時間は寝たのだが、お腹が痛くなってしまったのである。とまぁどうでもいい話なのだが(笑)。

 先日ドラッグストアに行ったのだが、増税前ということで日用品を買いに来た人たちでごった返していてビックリしたのである。私はちょっとした買い物だったので、増税前だから買いに来たというわけでもなかったのだが、こんなにレジに並ぶと思っていなかったのである。全品10パーセント引きしていたからかなー。ようわからんがとにかくすごかったのである。
 このドラッグストアに行く前に映画館に行っていたのだが、『プライベート・ウォー』という映画を観に行っていたのである。これは外国では昨年だったかそれくらいに公開されていたのだが、やっと日本で公開された作品である。しかし、公開している劇場が極端に少なく、東京でも2劇場しか公開していなかった。日比谷シャンテという映画館に行こうかなーと思っていたのだが、どうも時間的に微妙であった。私はできるだけ朝一に観たい派なので、午後にまたがる時間であった。少し公開劇場を探してみると、神奈川の川崎にある映画館で9時30分から始まるのがあったので、そこにしようと決めて行ったのである。ここ川崎は私が住んでいるところからそれほど遠くなく、30分もあれば到着する場所だったので、全く問題なかった。
 この『プライベート・ウォー』という作品はメリー・コルヴィンさんという実在した女性が主人公の作品である。彼女はいわゆる戦場記者であった。イギリスのサンデー・タイムズ社の記者で、世界中の戦地に赴き、レバノン内戦や湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争、スリランカ内戦、シリア内戦などを取材していた。メリーさんはもうとにかくすごい人で、最も危険な場所に自ら飛び込んでそこにいる“弱者の声”を一人ひとり取材をしていく。2001年のスリランカ内戦でジャーナリスト入国禁止を無視し、バンニ地域に乗り込んだ彼女は、シンハラ軍と“タミル・イーラム解放のトラ”との銃撃戦に巻き込まれて被弾し、左目の視力を失ってしまう。PTSDに苦しみながらも、彼女はそれ以降も黒い眼帯をトレードマークに世界各地へと飛び回り、まさに“生きる伝説”であった。なぜそこまでして危険地域に乗り込んでいくのか。なにがそこまで彼女を突き動かしているのか。それはただ“真実”を伝えるためである。戦争と聞くと、100人死んだ、1000人死んだ、1万人死んだ、そう聞こえる。でもそれはただの数字に過ぎない。安心安全平和な国に住んでいる私たちにとってそれは他人事であり、その数字が大きかろうが小さかろうがはっきりいってどうでもいい話。「へーそうなんだー」、とただそれだけの感想。このタイトルのように戦争って大きい話のように聞こえるが、本当はそうじゃないんだと。一人ひとり、個人の話なんだと。今日お父さんが殺された、愛するわが子が爆発に巻き込まれて死んでしまった、がれきの下敷きになって死んでしまった、一人ひとりの声を届かせなければならない、顔がわかるようにしなければならない、なぜならそれが真実だからだ。そこから先には行ってはならないと言われても彼女は突っ込んでいく。まるで死に場所を求めているかのように。彼女は戦争中毒者でもあった。戦場が一番居心地がいいとも言っていた。彼女は“普通の生活”ができない人でもあった。イギリスに帰ってきては酒浸りでアルコール中毒でもあった。恋多き人でセックス中毒でもあった。でも彼女はものすごくオシャレな人で、戦場へ行くときは必ず最高級の下着を身に着けているのである。いつだってセクシーさを忘れない人でもある。タバコもガンガンに吸う人でもある。酒にタバコにセックスにともう本当にワイルドな彼女であるが、それが彼女にとっての“燃料”、“ガソリン”だったのかもしれない。「普通の生活が一番いい」という人がいるが、それって誰が決めたの?そもそも普通って何?彼女は優雅な生活に身を置いたときもあったが、彼女はそれは求めているものではなかった。苦しんでいる人が、今死んでいっている人がいるというのに、こんなところで気まま生活なんかできるか!!と。そう考えたら酒を飲まずになんかいられない!!と。このアルコール中毒は戦場に行かないと治らない!!と。我々のこの平和ボケした生活を見たら彼女はこういうだろう。「ふざけんじゃねーよ!!」と。酒とタバコとセックスを燃料に、彼女は最前線をも突破し、いつだって真実を求め、戦争という抽象的なものに一人ひとりの声や顔を持たせるためにメリーさんは世界中を駆け回る。それが私の仕事なんだと。

2019年9月15日日曜日

ここまでして出勤するか!?

先日ここ東京というか関東地方を台風が直撃し、想像以上に被害が出たのである。前日からJRをはじめメトロなど、交通機関が始発から8時までは運休するという情報が出たのである。前日の夜からも22時以降は運休するラインがあるということで、私が働いている百貨店の周りにある複合ショップは予定よりも早く閉店して帰宅を進めていたのだが、私のところは予定通りの閉店時間であった。意味不明である。そして営業中に回覧板が回ってきたのだが、明日予定通りオープンに品出しなどが間に合うのかどうか、というのが回ってきたのだが、かなりのお店が「×」または「△」になっていたので、当然私のショップのスタッフも来れない人が数名いたので当然「×」をして回したのである。もし全員出勤できたとしてもそこは空気を読んで「×」にしていたのだが(笑)。しかし、あれほどのお店が「×」にしていたのにもかかわらず、最終的に予定通り開店するとのこと。意味不明そして理解不能。回覧板を回す意味あったのか。FUCKである。私はというと、私は地価のルートを使用しているので、予定では通常運転する予定であった。他のスタッフが来れないことがもうわかっていたので、これは自分が全部やるしかないか、ということで始発で行くことに。というか始発で行くことはしょっちゅうなので、別に何の問題もなかったのだが。そしていつも通り4時過ぎに起きたのだが、もう風がゴーっと窓に吹き付けているのがわかる。これはヤバいなと思いながら身支度をし、いつもはすぐ仕事が始められる服装で行くのだが、その日はずぶ濡れになるのが分かっていたので、ジャージみたいな服装で行くことに。私はウインドブレーカーやカッパみたいなものは持っていなかったので、その恰好しかなかった(笑)。傘も意味がないというかさしても危ないことはわかっていたので最初から持たないことに。カバンもファスナーができて雨をはじく素材でできたものに入れ替え、さぁー行こうかと思ってドアを開けようとしたのだが、風か強すぎてドアが開かなかった(笑)。これは本当にヤバいなと思い、もう一度気合を入れなおして、ドアを思いきり開けて鍵を閉め、駅まで私は疾走、いや爆走したのである。雨がものすごくて3秒でびしょ濡れに。当然風が強烈で走ってもまっすぐ走れないのである。正面からの風になると立ち止まってしまうというのか前に進めなくなるのである。雨のすごいので雨が口や鼻から入ってきて、まるで水中にいるかのようである。看板がどこからともなくバンバン飛んできて、シャッターが布切れのようにバサバサ舞っているし、ある意味命の危険を感じながらの爆走であった。ここまでして出勤しなければならない意味が全く分からなかった。そこまでして開店するという百貨店の意味も当然理解できない。とりあえず無事に駅にたどり着いてタオルで拭いて電車を待った。20分遅れの始発であったが、20分くらいどうってことはない。店にたどり着いて着替えていつも通り作業を開始して、店頭の方の準備もしながら、もう一人スタッフが来てくれたのでなんとか開店に間に合ったのである。あとの情報によると、近くの百貨店は1時間遅れで開店させたり、正午からの開店にしているところもあったみたいである。それは正しい判断である。すでに見えていた、わかっていたリスクを回避させたのであるから。しかし、私のところはそうはならなかった。「お客様のため」???好きだね、このフレーズ。客のために我々スタッフはこんなにも危ない日に奴隷のように働かないといけないのか?客のために身を削らなければならないのか?本当にFUCKだと思う。本当にFUCK OFFだと思う。私が家を出たときが一番悪天候な時間帯だったと思う。普通なら危ないからもう少し収まってから家を出るのが賢明な判断だったと思う。当然そのときの私もその考えはあった。危ないのはわかっていたし。でも時間通りに開店すると宣言していたため、そして他のスタッフは来れないことが分かっていたため、行かざるを得なかった。というかやるしかなじゃないか。文句を言ったってしょうがないじゃないか。言いたいのは山々だが。でもやるんだよ。行くしかないんだよ。責任を負うよ。こんなくだらないことでそういうのは大袈裟な話だが、やるしかないんだよな。その日は通しで、21時30分くらいまではお店にいたかな。いろんな意味で疲れ果ててしまった。時代を読み間違えた、時代に取り残された、今私がいる環境である。そんな時代はもう終わっているんだよ。

2019年9月7日土曜日

“映画”という魔法

 今日は久しぶり?なのかわからないのだが、ここ東京はかなり暑くなった。今日は休みでずっと家にいようと思っていたらいつも行っているメガネ屋さんから電話があり、注文していたケースがやっと届きましたという電話があったのである。今日を逃すと行ける日が来週になってしまうため、急ぎではなかったのだがせっかくなので急遽出かけることにしたのである。そのケースだけの用事ではもったいないと思ったので、ちょっとした用事を済ませてしまおうと思い、まずは六本木のミッドタウンに入っているお店に行き、つい先日と言っても1ヵ月ほど前に誕生日のお祝いとしてハガキをいただいていたのだが、それをお店にもっていったら何かもらえるということで、タダなら何でももらってやるぞ!ハハハッ!!というケチ臭いノリで買い物をしたのである。そこから歩いて表参道、原宿へ行き、原宿にある映画関係のフィギュアなどのグッズが置いているお店に行って、これもまたちょっとした買い物をして、そこからまた歩いて渋谷を通り抜けてメガネ屋さんに向かったのである。今日は歩いたことがない道をたくさん通り、こんなところにこんなお店があったんだーと新しい発見がたくさんあったのだが、なんせ今日は家にいる予定だったので、できるだけ早く用事を済ませて家に戻りたかったため、目的の用事以外はほぼスルー。久しぶりにかなり歩き、しかも今日に限ってめちゃくちゃ暑かったため、コンビニで水を買って水分補給をしながら歩いたのである。煽れにしても暑かった。まだまだこうやって夏の日があるというのはうれしいものだが、さすがにこれだけ歩いていると余計に体力が奪われていく。とまぁ無事にメガネ屋さんに到着して汗だくだったのでジュースまで出していただいて、ちょっとお話してお店をあとにしたのである。なぜケースを注文したかというとご存じの通り私はメガネやサングラスをたくさん持っているため、今までは棚の上に並べて置いていたのだが、ホコリがかぶってしまうというデメリットがあり、かけようと思う度に拭いてからかけなければならなかったのが面倒と思っていたし、ケースに入れておいた方が安心だということで思い切ってケースを注文したのである。私が注文したのは12本が入る大きいケースである。それを2ケース注文したのである。全部で24本入るのだがそれでもまだ入りきらないのが、ほとんどこのケースに収納できたのである。今度また画像をこのブログに添付したいと思う。そういえば読者の方からのリクエストで私のメガネコレクションをお見せするというお約束をしていたのだが、それがなかなかできず、やっとご紹介できそうである。本当にすみません。といっておいてまたズルズルいきそうな悪い予感もあるが、忘れずにちゃんと覚えております。もうしばらくお待ちくださいませ。


 
先日、映画館へ行き、タランティーノ監督最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』とエルトン・ジョンの伝記映画『ロケット・マン』を観に行ってきたのである。1日に2本観たのでめちゃくちゃ疲れたのだが、両作品ともサイコーにおもしろかったので、わざわざ足を運んだ甲斐があった。一つ残念だったのが、今回は渋谷にある映画館で観たのだが、ここは雑居ビルに無理やり映画館をぶち込んだみたいな映画館で、私の映画館の印象というかイメージは、エレベーターもしくはエスカレーターで上がったら、視野が開けてでかいロビーがあって、ポップコーンの匂いがしていて、最新作の予告編の映像がスクリーンに流れていて、みたいなイメージがあるので、ここ渋谷にある映画館はそれがなかったので、それが唯一の残念なところであった。まぁこれは本編とは全く関係のないところであるが。でも本編はそんなどうでもいいことを吹き飛ばしてくれるほどの本当にすばらしい作品であった。タランティーノ最新作ということで、今年で一番楽しみにしていた映画の一つである。事前情報によると69年のハリウッドが舞台で、マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害の事件がストーリーに絡んでくるといったものであった。当然ながらこれは映画を観る前にいろいろ調べて映画を観に行ったのだが、ストーリーはあくまでリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とクリフ・ブース(ブラッド・ピット)が主人公でメインの話であった。そしてコメディであった。上映時間は160分ほどで、アクションなどそういうド派手なシーンがないので、タランティーノ好きでなければおもしろいとは言われない作品だと思う。『パルプ・フィクション』もそうである。この作品を楽しめない人は今回の最新作も楽しめないかもしれない。私は大好きであるし、今回どういった内容になるのか自分なりに予想して観に行ったのだが、完全に裏切られたのである。これはめちゃくちゃいい意味である。やっぱりタランティーノ監督は歴史に対する思い、願いがあって、今回もそれを炸裂させてくれたのである。今回本編でブルース・リーが登場して、クリフ・ブース(ブラッド・ピット)と闘うシーンがあるのだが、このシーンは私はものすごく感動したというかすごいなーと思ったのである。タランティーノ映画を観ていたらわかるのだが、タランティーノはブルース・リーのファンで『キル・ビル』でブルース・リーの『死亡遊戯』に出てくる黄色いトラックスーツをユマ・サーマンに着せていて、ブラッド・ピットはデヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』という映画で、ブルース・リーの動きを再現、コピーしているのである。つまり2人のブルース・リーファンがブルース・リーと闘っているのである。闘いの結果は言わないが、ブラッド・ピットもやっと“男”になった、並ぶようになったのかなーと思う。タランティーノ監督はやっぱり“正義”の監督なんだなーと改めて思ったのである。自分はこう思うんだ、こうしたいんだ、こうしたかったんだ、と自分の正義を映画というフィルムにのせてこの世に叩き付けてくれているんだと思う。当然ながら過去には戻ることはできない。修正もできない。でも、せめて映画の中だけでも、自分が思い描いた人生を生きてほしいと願いを込めているはずである。この映画の宣伝で「ラストで2人が奇跡を起こす」みたいな宣伝がされているが、確かにその通りだが、ちょっと意味合いとして違う気がする。タランティーノ監督の9作品目として集大成であり、全身全霊でタランティーノ監督の魂をぶつけてきている。これが映画なんだと。ド派手なシーンがないといけない?バース系でなければ感動できない?ヒーローが出てこないとダメ?そんな問いかけなど無意味であり、ブームに乗ろうとだけしている人たちを寄せ付けない、タランティーノ監督だからこそ生み出せた、創り上げることができた渾身の作品である。“映画”という魔法でやり遂げたかったこと、それを教えてくれる。