2017年7月4日火曜日

『ハクソーリッジ』

 本日さっそくというか、重たい腰を上げて映画館に行ってきたのである。全然重たくなかったが(笑)。久しぶりに映画館行ける、と明らかに睡眠不足だったのだが今日は全く関係なかった。今日は初めてTOHOシネマズスカラ座に行ってみた。そこの映画館の前はしょっちゅう通っていたのだが、想像以上にデカイ映画館で朝一から度肝を抜かれたのである。思っていたより大きい映画館だっただけなのだが(笑)。今回観てきたのは以前にもほんの少しだけ紹介したことのある、メル•ギブソン監督の『ハクソーリッジ』である。最近暴力事件や暴言でハリウッドから干され状態で、そこでスタローンが救いの手を差し伸べて『エクスペンダブルズ3』で悪役で出演し、今回は監督として10年ぶりの作品である。観てみての感想だが、やはりこの人に映画を撮らせたら天才だというのは正しい。めちゃくちゃすばらしい映画であった。この『ハクソーリッジ』はPG12指定の映画なのだが、戦争の残酷さをこと細かに描写している。スピルバーグ監督のノルマンディー上陸作戦を描いた映画『プライベートライアン』の最初の25分もすさまじい描写で、戦争の過酷さというのか、本当に銃の弾が耳元をかすっていくような描写で、自分もその場にいる感覚になる。横にいた兵士が次見たときにはもう死んでいるというすさまじい状況の映画であったが、今回のこの『ハクソーリッジ』はそれをも上回る描写だとも言われている。確かに残酷残虐シーンの連続である。監督のメル自身がそういう描写にはこだわりがあり、過去の監督作品もそれは観てのとおりで、今回もそれが遺憾無く発揮されている。もしメル監督が撮らなければ、手榴弾で爆発したらただ人が死んで煙で見えなくなって次のシーンみたいになるのだが、メルが撮っているのでそうはならず、肉片や内臓や血が飛び散ってそれが近くにいる兵士に降ってくるということになる。これは過剰な表現ではなく、実際本当にそうであったみたいだし、おそらく本当の戦場であればもう本当に映像にはできないくらい残酷なのだと思う。『ハクソーリッジ』のハクソーというのはノコギリという意味で、リッジは崖という意味で、これは沖縄にある前田高地という実在する場所のことである。約150メートルある垂直の崖があるのだが、それがまるでノコギリで切ったみたいに見えたことで、アメリカ軍からハクソーリッジと呼ばれていたみたいである。この前田高地での戦いは本当に地獄で、アメリカ軍があらゆる地獄を一つにまとめたというくらいのすさまじい戦闘だったみたいだ。この沖縄戦はアメリカ側に精神異常者が続出したみたいで、アメリカ側はPTSDがその1945年当時にあったことを知っていて、でもそれがあるっていうことがバレるとみんな戦争に行かなくなってしまうので、アメリカ側はそれを揉み消したみたいだ。そしてそのPTSDにかかっている兵士の多くが沖縄戦の経験者みたいだ。どれだけ酷かったかということである。敵も味方も生き残った人も頭がおかしくなってしまうという戦闘だったのである。その中で一旦は退却してしまったそのハクソーリッジでたった一人残って敵も味方も関係なく救助していくのが今回の映画の主人公デズモンド•ドスである。彼はセブンスデー•アドベンチストというキリスト教の中でも非常に厳格で聖書原理主義的な宗派の一人で、聖書にある十戒の一つ、「汝殺すなかれ」というのを完全に守るというのが彼らの主義なのである。なので戦争に行っても武器を一切持たず、良心的な兵役拒否ができるのである。しかし部隊に入ってみると、隊長や一緒に訓練する仲間が、「僕は銃には触りません」とドスが言っているので、周りがイライラしてしまい、だんだんイジメに発展してしまうのだが、彼は辞めないのである。彼は徹底的に衛生兵としてみんなを助けるために行くんだと言って戦場に赴くのである。しかし、その戦場は想像以上で、グチャグチャになった人間が至る所に転がっているのである。その中で彼は衛生兵として活躍していくのだ。とある一人の男が、人間が、自分の信念を貫き通した映画なのである。今回も何度も涙が出てしまうシーンがあった。訓練ではイジメていた仲間や隊長が彼の活躍を見て、「俺が間違っていた」、「俺を許してくれ」と言う。ドスは土曜日が安息の日ということで祈るために休まないといけないのだが、次の日が土曜日でその前日隊長がドスに言う。明日は土曜日でお前は安息日だが、お前無しでは俺たちは戦えない、と。ドスは困った表情をし、次の日のシーンになる。戦艦からの砲撃でまずはハクソーリッジにいる日本兵を退却させてから突撃するのだが、戦艦が砲撃して10分になるというのに部隊はまだ突撃しない。戦艦からの通信で、「なぜ突撃しないんだ!!」と。隊長が言う、「待っているんです」と。戦艦からの通信が、「何を待っているんだ!!」と。そして隊長が言う、「ドスの祈りが終わるのを」。
 戦争は経験しなければその残酷さ、過酷さはわからない。今日この今も世界の至る所で戦争や紛争は起きているが、少なくとも私が実際に戦場に行くことはほぼないだろう。実際の映像などを見るとすればやはり映画になってしまう。映画となれば普段公開しない資料や経験者かやの情報を集めてそれを映像にしてくれる。過去の記録を映像として残してくれる。実際はもっと違うのかもしれないが、唯一観れる機会なのである。やはりこういうのは観た方がいいと思う。戦争の残酷さを、過酷さを、愚かさを。歴史を学ぶ理由は、同じ過去を繰り返さないためである。たが現実は違う。人間は愚かである。何度も何度でも同じ過去を繰り返す。本当人間って愚かなんだなと思う。このような映画を観て、戦争したいという人はいない。だから戦争映画は作られる。必要とされる。観ていて辛くなるししんどくなる。しかし、ついこの間まで実際に起きていたこの現実から目を反らすわけにはいかない。その現実を受け止めなければならないのだ。一人の人間として。

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