2012年9月30日日曜日

母校の文化祭へ

 ここ数日、台風の影響かは分からないが、天気があまりよくない。昨日も天気がよくなく、雨は降っていなかったが、買い物したいものがあったが出掛けなかった。しかし、今日も天気が悪かったが、買い物しなければならなかったので、午前中は雨が降っていたが、昼にやんだので、急いで買い物に出かけたのだ。12時15分くらいに出発して、帰ってきたのが13時30分だ。我ながら早いと感じた。結局今も雨が降っていないので急ぐ必要もなかったのだが、とりあえず安心した。



9月の中旬、私が6月に教育実習で訪れた母校で文化祭があったのだ。6月の最終日に生徒達から、「文化祭絶対来てな」と言われ、「もちろん」と約束をしていたのだ。約束は守らなければならないので、スケジュールを合わせ、文化祭に行ってきたのだ。二日間行われるのだが、1日目は行内の生徒だけで行われる。イベント広場というのがあって、次の日も出場できるかどうかの予選が行われるのだ。音楽とダンスがある。2日目は外部の人も参加できるのだ。
 文化祭の日が近づいたとき、生徒から一日目のダンスに出場するから見に来てと言われ、特に他の予定はなかったので、そのダンスを見に行くことにした。久しぶりに母校に行く。先生方にあいさつをし、生徒達の教室へ行く。行く途中に、生徒と再会。突然だったのでびっくりしたが、そこは自然とハイタッチ(笑)。「みんなイベント広場に行ってるから一緒に行こや」と言われた。窓からイベント広場は真下なので、広場にいる生徒が私に気がついたらしく、広場にいるみんなが私に手を振ったのだ。それも大声で(笑)。もう、嬉しくて仕方がない。私も手を振る。ちょっとしたアイドル気分を味わえたのだった。
 そういえば6月の教育実習中にも、もう文化祭に向けて活動が始まっていたのだ。ダンスに出場するのは有志で集まったメンバーで、ちょうどその時はダンスをどうするかを決めるところだった。それを思い出したので、とても楽しみになった。途中雨が降ってきたが、生徒達のダンスは最高だった。段ボールで作ったかぶり物をしていたのだが、それが何ともユニークだった。誰が踊っているのかわからなくしようということだった。ダンスを終えて生徒が言ったのだが、「暑くて酸欠状態やったわ」と言っていた。そりゃそうだろう(笑)。
 その日に放送で結果発表があるのだが、落選。それを聞いてみんなは泣き始める。2日目には違うダンスを用意していたそうだ。それは悔しい。まあ、こればっかりは仕方がない。ところが放課後、「悔しいからみんなで踊ろや」と一人の生徒が言ったので、再びイベント広場へ行って、メンバーでない生徒も踊りだした。それを見ていて、「本当に素晴らしい生徒たちと出会えたな」と改めて実感したのだ。
私が担当したクラスは、ラスクを作ることになっていた。作るのは2日目だけなのだが、私は1日目に差し入れでラスクを買って持って行ったのだ。なぜラスクにラスクなのかというと、文化祭に行く数日前、ラスクを作るいうことは知っていたのだが、何か差し入れを持って行かなくてはならないと思い、百貨店でその差し入れは何がいいかと探していたのだが、すっかりみんながラスクを作るということを忘れていたのだ。ラスクは値段的にお手頃なのでそれに決めたのだが、後になって「しまった」と思ったが、いざその差し入れを1日目に持って行くとみんな大喜びしてくれた。みんな差し入れはなんでもよかったのかな(笑)。「これよりもおいしいの作ってや」と言っておいた(笑)。
 実際生徒たちが作ったラスクを食べてみると、それがかなりおいしい。こんなに上手に作れるのかと感心したのだ。一人の生徒にどうやって作るのか聞いてみたが、教えてくれなかった。そして、何で教えてくれないのかと口論になった(笑)。もう何から何まで楽しい文化祭であった。
 そして、壁の装飾にもみんな力を入れていて、よくこれほどのものが作れたなと驚くほどだ。生徒一人一人の顔の写真を切って、壁に貼ってあるのだが、よく見るとそこに私の顔もあるではないか。もう、感謝感謝である。みんな、ありがとう!!!
 久しぶりにみんなの元気な姿を見ることができて、私も元気になった。やっぱりみんなは受験生なので、文化祭中にも受験のことが頭から離れないらしい。そういうもんだ。それが受験生だ。夏休みも終わって、みんな焦ってくる。「もう9月ではなく、まだ9月やで」と言っておいた。そう、まだ9月だ。これは受験日が近づいてくるにつれてこう思わなくてはならない。まだ1カ月もある、まだ1週間もある、そんなふうに。さあ、受験勉強の日々に戻ったが、まだまだこれからだ。

精一杯の自分の人生

 先ほど、今年の投稿件数を見てみたが、昨年に比べて極端に少ない。最近述べているように、就職活動により、大阪、東京、青森を行き来しているので、なかなか落ち着いて投稿できないのだ。投稿しようと思えばできるのだが、「就職活動」という文字が頭から離れず、書くことも限られてきてしまい、他のことに目がいかなくなっているのだ。なので、投稿があまりできなくなっている。読んでいただいている方には申し訳ないのだが、私の気持ちを理解していただきたい。できるだけ投稿していこうと思う。文章が短くなってしまう日が増えるかもしれないが、書いていこうと思う。これが私の活動記録でもあり、日々何を思っているか、精神状態はいかほどか、などの生存確認ができる(笑)。時間があるときには、今う私がどこにいるかくらいでも書いていこう。



最近の精神状態は、昨日も書いたことなのだが、辛い日々が続いている。就職活動もそうなのだが、他にも辛いことがあった。人間は生きていく上で、大変なことや厳しいことの方が多いだろう。それを乗り越えていかなくてはならない。人生の経験を積んだ私たちの先輩がその苦労を知っている。私のような若いものは先輩方の意見を参考にして、それをヒントにしながら、自分なりの論理を構築してかなくてはならない。
 信頼していた人から裏切られたとき、そのショックはどれほどのものだろうか。周りが見えなくなる。奈落のどん底にたたき落とされる。もう人を信用できなくなる。今までのは何だったのだ。そんなことになるだろう。その時、いろんな人に相談しても、耳にはなかなか入ってこないだろう。悲しみと腹立たしさしか頭にないのだから。
 人生には、こういう瞬間がたくさんある。思っていたのとは全く違う現実。学校でも、会社でも、友達でも、家族でも、恋愛でも。人はみな、自分の都合のいい現実を想定する。そしてある日突然、それがただの勘違いだったと気づかされる。己の人間力が試されるのはこういう瞬間だ。
 もし、こういう瞬間に出くわしたとき、道は二つしかない。一つ、その場に及んでも、幻想の中に逃げ込み、今までのはなかったことにして忘れる。二つ、辛くても現実を認め、そしてもう一度、歯を食いしばってゼロからやり直す。私はどっちだ。自分の人生は自分で決めなければならない。
 私は今まで人間的魅力とは何かを研究してきた。少しでも魅力ある人間になろうと様々なことに自ら取り組んできたし、厳しいことにも耐えてきた。いろんなことにも挑戦してきたし、自ら壁を用意し、それを乗り越えられるかを試してきた。百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず、自分の目で確かめて、行動してきた。やはり、自分よりもすごいことをしてきた人には感動するし、尊敬もする。

 私はボランティアは正直あまり好きではない。今まで取り組んできたのだが、最近は「人のため」というのが何だかあまり心地よく聞こえてこないのだ。今までは散々、「人のため」と声を上げていたが、そう思えなくなってきた。私は23歳だ。両親の支えがある。ということは、自分のケツも満足に拭けないガキなのだ。誰かのために何かをやってあげるというのは、最初は気持ちがいいものだ。優越感も味わえるし、他人のために何かをしてあげるというのは、ある種の陶酔感も味わえる。「人のため」と思えるのは、最初の方だけである。私にとって、「人のため」というのは50万年早い。人間なんて、自分の人生を必死に生きていたら、それだけで手いっぱいで他人の心配なんかしている暇はないはずだ。もしそうでない人がいるとしたら、そいつはよっぽどの愚か者か、自分自身では夢が追えない弱虫か、あるいは、優しい人間って言われるだけが生きがいの偽善者野郎だ。自分の人生を精一杯の力で生きていく。そして、自分でたくさんのしあわせを掴む。たくさんのしあわせを掴んだら、はじめてそのしあわせを分け与えられるのだ。だから今までしてきたボランティアはすべて自分のためであったように思える。「人のため」は、もう少し先ではないだろうか。

 自分にとって魅力ある人間とは何かを追求してきた。しかし、まだまだ足りないようだ。苦労を重ねた分だけ、私は強くなれるし、優しくなれるし、人の痛みを分かって上げられると思っている。そうやって自分の人生を全うしていきたいのだ。自分の人生を精一杯生きていこうと思う。たとえどんな裏切りがあろうとも、どんな苦しみがあろうとも。苦しみや悲しみなんて、あとになれば笑い話になる。今は辛くても。
 それでいいじゃないか。

2012年9月29日土曜日

続く就職活動

久しぶりに投稿する。今は青森にいるのだが、まだ就活が続いている。もう周りの人のほとんどは終わっているのだが、全国では約6割の就活生が内定をもらっているという。それを聞いて焦る気持ちがないといえばうそになってしまうが、まだまだこれからだという気持ちである。さすがに疲れてしまうときもあるし、ふさぎこんでしまうときもあるし、泣きたくなるときもある。夏休みに大阪に戻っていたのだが、新聞で、ある大学院生が就活で苦労し、自殺をしたというニュースを読んだ。彼も苦労をしていたろう。その気持ちは今もなお就活を続けている者なら分かる。もちろん私にもわかる。灼熱の太陽の下、汗をかきながらスーツを着て街を歩かなければならない。歩く距離が長ければ、途中見つけたコンビニに入り、少し涼んでから、また歩き出す。説明会、書類審査、SPI2、グループディスカッション、集団面接、一次面接、二次面接、役員面接、など企業により進め方は違うが、一企業につき、複数回試験や面接を受けていかなければならない。一つ、また一つと試験をクリアしていくと、その先にある「内定」という文字が現実と化してくるのだ。期待も高まり、もしかすると、という気持ちになる。最終面接ともなればなおさらだ。私は今まで3回最終面接に進んだことがあるが、こういう気持ちになる。だが、書類選考で落ちようが、一次面接で落ちようが、最終面接で落ちようが、結果は同じということだ。合格か不合格か。がんばったとかがんばってないとか、そんなものには何の意味もない。ただ、落ちるたびにふりだしに戻る。落ちるたびに少なからずショックを受ける。そのダメージか蓄積されていく。自殺した学生も、限界に来ていたに違いない。4年大学を卒業し、両親の期待も背負い、そして周りを取り巻く環境が一人の学生を押しつぶしてしまったのだ。そんな彼の気持ちを、誰が理解してくれようか。誰のせいだ。この社会なのか、この時代なのか、自分自身なのか。就活というのは、命を捨てなくてはならないほどのものなのだろうか。彼の声が私の頭の中でこだましている。しかし、彼の声は人ごみに紛れ、かき消されるだろう。これが現実だ。
 先日、東京駅前で就活生が歩いていた。疲れているように感じた。私も周りからは疲れているように見えているのだろうか。昨年12月から始めた就職活動。そして10月になる。季節は秋。春夏秋冬をめぐり、活動が続いて行く。周りに心配かけないように、明るくふるまっているが、それがいつまで続くだろうか。気が付けばまた、東京行きの夜行バスに乗っていることだろう。この苦労が報われる日が来ると信じ、また一歩、踏み出していく。