2012年6月26日火曜日

教えることの難しさ

さあ、私の実習授業が始まる。この前のブログでも書いたが、現代社会の戦後日本経済からバブル崩壊までだ。毎日教材研究に追われ、一つの物事に対して、さらに過去の出来事や周りの出来事に波及していき、無限ループにはまってしまうのだ。一体自分がどこを教えたらいいのかわからなくなってしまう。とにかく内容からできるだけ離れないように、要点を絞り、流れや原因と結果を明確にすることを心がけた。なにしろ初めて聞くような言葉もたくさん出てきたので、なかなか前に進まなかった。みんなに配布するプリントは手書きでと決めていたので、そのプリントもわかりやすくするためにかなり工夫した。私が手書きにこだわったのは、みんなの記憶に残ってほしかったからだ。自分で書く字は思いが詰まっている。私が配布したプリントを見て、「ここは実習生が教えてくれたんだな」とほんの少しでも思い出してくれたらいい。そう願いながらプリントを作成した。
 実際に授業してみると、授業する前は自分で納得して臨んだつもりなのだが、迷っている自分がいることに気が付く。黒板に字を書きながら自分で「何でこうなるんやろ」と思っている。みんなにその迷いが伝わってしまったらいけないので、できるだけ堂々としていたつもりだったが(笑)。やはり授業では失敗は当たり前であった。もちろん配布プリントのミスもあった。無神経な発言もしてしまったこともある。当時の自分としてはできるだけわかりやすく伝えようとしたつもりであったが、今思えばとんでもない発言であった。毎回の授業で反省反省である。一言の重さ、教えることの難しさをこれほど感じたことがない。受験生にとっては貴重な1時間だ。もうその1時間は二度と返ってこない。その二度と返ってこない1時間を準備不足、研究不足などあってはならない。というかあり得ない。その責任の重さには震えるくらいに恐ろしくなってしまう。全力で取り組んだのだが、なかなかうまい授業はできなかった。特に毎回初めての単元となっていたC組には申し訳ない。
 2週間はあっという間に過ぎていった。終わるころになって、みんなともっと話がしたいという気持ちになった。私がみんなに話ができるのは自分の経験から学んだことしかない。勉強の方はちょっと勘弁してほしいが。体育祭や文化祭の決めごとで、なかなかみんなにゆっくり話ができなかったのが残念であるが、受験とは、大学とは、そんなことを自分の意見としてみんなに伝えた。その話を聞いて、全く大学とか興味なかった生徒が「行ってみたい」という気持ちになったと話を後から聞いたのだが、それを聞くと嬉しい。たった4年くらいしか年がかわらない。しかし、その4年というのがどれほど大きいのか、自分が話をしていて気がついた。みんなに伝えることが一つでもあるのなら、それだけ私は生きてきたのだなと実感する。まさか私が教壇に立って話をする時が来るとは思っていなかった。あっという間に年をとった(笑)。ちょっとした相談相手になれただけでも私は満足だ。話を聞いてくれる生徒の目は何かを学び取ろうという目であった。自分の経験から話をすることは自信を持って話ができる。みんな、私の思いは伝わったかな。

2012年6月25日月曜日

受験生の相談役

私の実習授業が始まるまでは、ホームルームを担当していたのが主であった。連絡であったり、小テストであったり、と1週間はそれで過ぎていった。昼休みに一度みんなとコミュニケーションを取りに行こうと思い、教室に行ったのだがみんなご飯を食べながら勉強していた(笑)。それはその日にある小テストの勉強であった。私の高校時代と比べてこの小テストが厳しくなっており、合格点を下回ると別紙に英作文や単語を書いて再提出しなければならなくなっていた。私の時はそのような再提出はなかったのだが。その勉強しているのを邪魔してはいけないと思い、昼休みはあまり教室には行かないようにしていた。その分放課後できる限り教室に残るようにし、生徒と様々な話をした。今思えば3年生がよかったのかもしれない。進学について、将来について、みんな悩んでいたのだ。私も高校3年生の時はここにいるみんなと同じように悩んでいたのだな、と懐かしく思えた。みんなにアドバイスできるような人間ではないが、一個人としての意見をみんなに話をした。今考えるとあの受験というのは、まだ低い壁なのかもしれない。受験よりももっと苦しい厳しい壁がある。受験生には、「そんなに悩まなくても」と言ってしまいそうになるが、今のみんなにとってはおそらく、今まで生きてきた中で最高の壁であろう。今でもあの頃のことは覚えている。それを思い出し、みんなに話をした。先生でもない。生徒でもない。教育実習生だ。みんなは先生には言えない悩みごともあるだろう。それを気軽に相談役になれるのはもしかすると教育実習生なのかもしれない。私のアドバイスは役に立つかな(笑)。
さまざまな教室を回り、さまざまな学年やクラスを見学したのだが、やはりその学年やクラスによって個性があるのが改めてわかる。私は主に3年生を担当していたので、3年生を中心にして述べると、落ち着きがあるのが一番の感想である。大人、と言った方がいいのだろうか、1年生と比べるとそれは一目瞭然である。積極的に発言するクラスもあれば、なかなか反応が返ってこないクラスもある。その個性というのはひとつにクラス担任が大きく影響しているのではないだろうか。そのクラスをつくりあげていくのはもちろん生徒自身であるが、そこに担任の支えがあって成り立っている。もし私がクラス担任になったらどのようなクラスになるのだろうかと考えてしまい、とんでもないクラスになっているのではないだろうかと一瞬頭をよぎった(笑)。
日に日に「教師」という仕事が見えてくる。想像していたのよりもはるかに大変である。生徒が知らないところで先生方が汗水垂らして動いてくれている。高校時代の時には考えもしなかったことが今わかる。「そうだったのか」と納得するのだ。私がしあわせだったことが、素晴らしい先生方とたくさん出会えたことだ。それが今でも財産となっている。もちろん今でもお世話になっている。たった2週間で生徒みんなに何が伝わるであろうか。みんなの記憶に残る教育実習生になれるのだろうか。そんなことを考えながら実習時間が過ぎていく。

2012年6月24日日曜日

教育実習開始

久しぶりの投稿である。今青森にいる。5月下旬から6月中旬過ぎまで大阪にいた。以前のブログでも書いたのだが、教育実習に行っていた。今日はそのことについて書きたいと思う。

 6月1日から15日の2週間、母校であるM高校に教育実習に行っていた。行ってきた感想を一言で表すならば、最高だった。そう、これは今だからこそ言えることだ。実習中はかなり大変であった。睡眠時間は毎日3時間。主に教材研究に追われていた。私が担当したのは現代社会で、戦後日本経済からバブルの崩壊まで。私は高校時代は倫理を学んでいたので現代社会は初めてであった。しかも世界史だったので、この単元は全く初めてで、それを教えるというのだから大変に決まっている。参考書など10冊集め、教材研究に走った。これほど勉強したのは生まれて初めて!?であった(笑)。とにかく勉強した。私のホームルームは3年C組で、現代社会を教えるのは、そのC組ともう一クラスは3年D組であった。受験生を教えるということもあり、かなりの責任を感じた。
 1日から実習が始まった。1日から15日、起きるのは6時で7時に家を出発し、7時30分には学校に着いているという生活であった。1日は緊張に緊張をして、自分のホームルームへ担任の先生と共に教室に入ったのだが、3年生なので大人なのかみんな静かである。朝のショートホームルームは短いので挨拶も1分もないくらいで、あっという間に教室から出て行ってしまった。仲良くなれるだろうか、と心配になってしまった。
 私が授業するのは8日からだったので、それまでは教材研究と他の教科の見学であった。様々な教科のところでどのような教え方をしているのかなどといいところをどんどん盗みとらなければならなかった。高校時代は椅子に座って授業を聞く立場であったので、今回は違う立場で授業を聞く。
 その日の終わりのホームルームから私が担当することになったので、連絡事項などを伝える。緊張していたので声を出しているつもりであったが、少し小さかったようだ。掃除を一緒にしたりした。そこで最初に話しかけてくれた生徒がいた。「先生体育祭来るん?」。体育祭は15日で、私の実習期間は14日までだったので、期間が過ぎている。しかし、来れる実習生はぜひお手伝いに来て下さいということだったので、私は行くことにしていた。「うん、行くよ」と返事をした。この生徒は、その体育祭のC組の団長であった。体育祭や文化祭の時は「組」が「団」という呼び方に変わるのだ。一番最初に話しかけてくれたのでかなり嬉しかった。その生徒からどんどん話をするようになり、一人また一人と話をする生徒が増えていった。最初に心配していた仲良くなれるかどうか、は大丈夫であった。