2019年10月14日月曜日

「ジョークだよ」

 先日台風が来ていたのだが、私のところはほとんど影響なく無事に過ぎ去っていったのだが、全国を見てみると大きな影響が出たみたいである。亡くなられた方も50人を超えたみたいで、これは非常に大きな災害となってしまった。本当に他人事ではないなと改めて痛感したのである。


前回の投稿で、新作『ジョーカー』の話を少しだけしたのだが、今回も少しだけ書いてみたい。多少ネタバレも含まれるので知りたくない方は映画を観てから読んでいただきたい。今回公開された作品は独立した作品になっているので、今まで全くDCコミックに触れていない人でも楽しめる作品になっている。今回この『ジョーカー』が公開されるというので、、アメリカでは警察や軍が動くほど本当に話題作というか問題作であった。というのも、クリストファー・ノーラン監督のダークナイト3部作の最期の作品である『ダークナイト/ライジング』で、前作の『ダークナイト』に影響を受けた人が『ダークナイト/ライジング』公開初日に映画館上映中に舞台上から銃を乱射するという事件が起きたのである。本当に偶然ではあるが、その銃を乱射しているシーンと映画のシーンがほとんど同じであったということで、映画を観に来ていた人は演出の一つと思ったらしく、最初は全く気が付かなかったみたいである。頬を打ち抜かれた人もいたのだが、その人も盛り上がってその瞬間は気が付かなかったが、血が流れていることが分かって初めて本物なんだということに気が付いたみたいである。それほどに『ダークナイト』が衝撃的な作品だったということである。主役であるバットマンよりも敵役のジョーカーの方が強烈だったので、本当に主役を食った敵であった。今回は全く新しく、このジョーカーというキャラクターがどうやってスーパーヴィランになっていったか、というのを描いた作品である。前回の投稿ではちょっとなーという感じの雰囲気を出してしまったのだが、これはものすごくダークで骨太な作品で、神経をしっかり持っていないとどっちにでも揺さぶられてしまう作品であることに間違いはない。当然ながら問題作と言われれば言われるほどいい作品だと私は思っているので、今回の『ジョーカー』もものすごい作品であった。まず一言で言えば、ものすごくよく考えられて作られた、周到につくられた作品であると思ったのである。ここでオチを言ってしまうのだが、最後は“夢オチ”なのである。ここで描かれてきたことはすべてジョーカーの頭の中の話なんだよ、というのである。後にジョーカーになるのがアーサー・フレックという大道芸人をしている人が主人
公なのだが、スタンダップコメディアンになるのが夢でその夢を追いつつ、母親の看病をしながら貧しい生活をしているのである。彼は病気を持っていて、悲しいことや悔しいこと、笑いたくなくても発作的に笑ってしまうという病気を持っていたのである。それで周りからは不気味に思われてしまうこともあった。彼は不運の連続で、周りの人から、そして社会からどんどん見捨てられるようになる。観ていると彼は本当にいいヤツで、彼に同情してしまうのである。彼はとある日、電車の中で若い女性が男3人からちょっかいをかけられているのを目撃する。それを見て笑ってしまい、男3人がアーサーのところへ来て彼はボコボコにされてしまう。そこで数日前に仕事仲間から護身用にともらった銃で3人を射殺する。そこから彼の人生は一気に変わってしまう。少しずつ少しずつ狂気へと狂気へと迫っていく。この作品の中でアーサーが数名殺すのだが、よくよく考えてみると殺された人は何かしら“悪いヤツ”であることがわかる。最終的にアーサーがやったこと、ジョーカーがやったことは社会の底辺で生きている人に共鳴し、ゴッサムシティが暴徒化するのである。貧しい人たちが金持ちに対して反乱を起こすのである。ゴッサムシティが炎上する中をジョーカーはパトカーに乗りながらその景色を見るて笑うのである。そのとき運転していた警察が「笑うんじゃねーよ。お前のせいでこんなことになっているだよ」と言う。そしてジョーカー「知ってるよ。きれいじゃない?」という。そのパトカーに乗ってこのセリフを言うときに、Creamの『White Room』が流れるのだが、もう本当にサイコーにカッコいいのだ。私も観ていて「おぉー!!」となった。このあと少し続きがあり、最終的にカウンセリングルームのシーンになる。この映画はカウンセリングルームに始まり、カウンセリングルームで終わるのである。おもしろいジョークを思いついたよとジョーカーはセラピストに言い、言ってみてと言われるのだが、「理解できないよ」と言う。血の付いた足跡を残しながら彼はカウンセリングルームを出て、看守らと追いかけっこしながらこの映画は終わる。夢オチなのである。途中にも、このシーンはどうもおかしいなー、さっきはこうだったのになぜ今はこうなんだろう、と疑問に思ってしまうところがある。すべてはジョーカーの頭の中で作られた話だからである。誰が本当のことを言っていて、誰が嘘をついているのか、それははっきりとはわからない。ノーラン監督の『ダークナイト』でも、ジョーカーが口が裂けた理由を何回か言うシーンがあるのだが、どれも毎回違うことを言う。どれが本当の理由かわからないのである。先ほどこの作品は“よく考えられた作品”と言ったが、悪く言えば“逃げ場所を用意している作品”であるとも言える。それもそのはずである。世界を代表するスーパーヴィランを正当化、もしくは美化するわけにはいかないからである。どこのシーンを突っ込まれても逃げ道があるので、それをうまく交わせるように作られているのである。この映画は危険な作品であるとよく言われているのを目にするのだが、その時点でもうジョーカーのジョークにやられてしまっているのである。「お前ら本気でそう思ってんの?ジョークだよ」とジョーカーは笑っているはずである。この作品はマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』の影響をかなり受けているのがすぐにわかる。この作品にはバットマンは登場しないが、厳密に言えば登場している。バットマンの本名が分かっている人ならすぐに「なるほど」となる。単独作品でもあり、ちゃんとわかってるよというのでそういった小ネタを入れている。モヤモヤした感覚になるのだが、この映画はそれでいいのかもしれない。ノーラン監督の『ダークナイト』のジョーカー役であったヒース・レジャーは役にはまり過ぎて亡くなってしまったが、今回のジョーカー役はホアキン・フェニックスはこういった頭のおかしい役は彼にとっては通常営業なので全く問題ないだろう。私は映画を平日の午後に観たのだが、ほぼ満席で本当にいろんな人が来ていた。マジで暇そうなクソババア集団・・・もとい年配の女性の方々、男性同士、女性同士、カップル、お一人様、などなど多彩であった。カップルで来るのはいいのだがこの映画を観終わった後どんな話をするんだろうかと私はそこが気になって仕方がない(笑)。それはどうでもいいのだが、とにかくすごい作品であることに間違いない。最後のパトカーに乗って『White Room』が流れるシーンはマジでサイコー。

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