2018年5月17日木曜日

個人的に好きな女性キャラクター

 この前だんだん暑くなってきたなーと思っていたら、また寒くなってきたのだが、ここ2,3日でまた暑くなってきた。もう5月の中旬なので、もう少したら梅雨になるんだなーと思う。本当に早いものである。

 今回は私が個人的に好きな、気に入っている女性映画キャラクターを紹介していこうと思う。なぜそうしようと思ったかというと、先日ずっと観ていた『ツイン・ピークス/リターン』に登場した“ダイアン”が非常にすばらしいキャラクターで、久しぶりに強烈なインパクトのある女性を観たからである。それで今回改めて自分の好きなキャラクターを整理してみようと思ったからである。もちろん全部は紹介できないので、テキトーに思いついたのを紹介していきたい。好きな男性キャラクターは以前簡単に書いたことがあるが、それも改めてもう少し拡大して書いてみたい。ということで個人的に勝手に好きなキャラクターを紹介する。とりあえず第一弾?で、また思いついたら投稿しようと思う。
“LET'S ROCK!!!”


まずはこのすばらしい人から。この人を出さずにこの企画は成り立たない。『マッドマックス/怒りのデス・ロード』に登場するフュリオサ・ジョ・バッサ大隊長である。これほど強くて物静かで美しく、坊主が似合う女性が他にいるのか。アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しているのだが、この映画に登場するキャラクターのほとんどがハゲじゃねーかよ!!とついついツッコんでしまったのだが、それほどすばらしいということである。ちなみに私がすきなフュリオサ大隊長のセリフが、“We fang it!!!(ぶっ潰す)”である。気合を入れるときはこのセリフ以外ない。

 
 
ちなみにこの映画ではフュリオサ大隊長以外にも美しい女性たちが登場していて、イモータン・ジョー様に囚われてしまっている女性が5人いるのだが、その中で一番好きなのがケイパブルという赤髪のキャラクターである。みんなすごく美しいのだが、私はこのケイパブルが一番好きなのである。



この2人のツーショットはサイコー過ぎる。泣いてしまう。


『マッドマックス/怒りのデス・ロード』と同じ年に公開された『ターミネーター/新起動:ジェニシス』に登場するサラ・コナーを紹介したい。この映画はシリーズもので、今までは別の女優がこのサラ役をしていたのだが、今回新しくセッティングされたのだが、このキャラクターも非常に美しかったのである。世界的な興行収入はよかったのだが、肝心のアメリカ国内でコケてしまい、もともと3部作の予定だったのだが、この『ジェニシス』で白紙になってしまったのである。みんなこの作品を悪く言うのだが、私はこの作品は大好きだしおもしろかった。そしてこの続きを観たいと思っているのだが、それは叶いそうにない。非常に残念である。

 

この映画、ドラマは何度かこのブログに紹介しているのだが、『セックスアンドザシティ』からサマンサというキャラクターを紹介したい。この映画、ドラマでは4人の女性が主人公で登場するのだが、みんな性格がバラバラで個性が豊かなのである。その中で一番好きなのがサマンサである。なぜかというとこの4人の中で一番わかりやすいというのか割り切っているというのかおもしろいというのか、そんなキャラなのである。右の画像でいうと赤い服を着ているのがサマンサである。そしてなによりも“FUCK”を使うからである(笑)。これはわあつぃの中では非常に重要で、この映画、ドラマに関係なく“FUCK”を使っているキャラクターや映画はかなり好きである。やっぱりそれはカッコいいからであろう。ちなみに私が好きなサマンサの名言は“I'm fifty-fucking-two and I will rock this dress(52歳だけど、このドレスを着こなしてやるわよ!!).”である。ファッションに年齢なんて関係ないのである。そして、“I love you too, but I love me more(あなたのことを愛してる、でもそれよりも大事なのは自分自身なの).”


ちなみにこのサマンサが持っているプラカードだが、このシーンはオークション会場でサマンサがちょうどオークションしているシーンだが、このプラカードの番号は本当は“69”を使用したかったのだが残念ながら“69”がなかったので“969”になったのである。“69”はサマンサの番号である(笑)。


次は『スターシップ・トゥルーパーズ』に登場するディジー(ディズ)というキャラクターである。主人公はリコという青年なのだが、この主人公には彼女がいるのだが、このディズは主人公にベタ惚れしていて、何度もアプローチしていくのだが、「友達でいよう」と断られてしまう。でも、そのアプローチしていく姿が何とも言えないのである。この映画は軍事国家を描いているパロディになっていて、ものすごくカッコよく仕上がっている映画なのだが、実はこんなのは最悪だという映画である。主人公は能力が低いということで歩兵に、主人公の彼女は宇宙船の操縦士に選ばれ、そしてディズはもともとアメフトで進んでいく道を選んでいたが、遅れてリコがいる歩兵部隊に合流したのである。そんなディズにリコは嫌悪感を抱いていたが、だんだん心を通わせるようになっていく。宇宙船内でディズがリコにサムズアップする姿やリコやディズの他に仲間合わせて4人で右腕に同じタトゥーを入れるところは本当にサイコーである。このディズもカッコよく強く美しいキャラクターなのである。



そして私のブログではおなじみの『キックアス』に登場するヒットガールである。世間的に1作目のヒットガールの方が人気があるのだが、私は1作目も好きだが2作目の『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』のヒットガールの方が好きである。1作目に登場したヒットガールは小学生の年齢なのに放送禁止用語連発で公開当時は大問題になっていたが、それがこの映画のいいところであり魅力的なところである。映画だけでなくコミック版も大好きで、映画版よりもコミック版の方がより陰湿で過激で残酷に描かれている。ヒットガールが言うセリフはほとんどスラングで、これはコミック版からだが、“We need to hurt this fucker down and make him wish his dad had finished on his mother's tits. We need to hit him hard and fast and send a message to these cocksuckers that New York's superheroes  are not to be fucked with(あのクソ野郎にパパがママに中出ししたのが間違いだったと思い知らせてやる。徹底的に喰らわせてやる。ヒーローを甘く見るとどうなるか、骨のズイまで叩き込んでやるわ).”っていうことを普通に言うのだが、小学生がそんなこと言うわけないやろと言いたくなるのだが、それほど魅力的で強くてカッコいいのがヒットガールである。

 
 
 
次は『キングスマン』シリーズに登場するロキシーである。残念ながら2作品目の『ゴールデン・サークル』では見せ場があまりないのだが、非常に美しい女性というのか私がカワイイと思うキャラクターである。本当はもっともっと出番を増やしてほしかったのだが、あんなことに?なってしまったのでついつい涙が出てしまう。“FUCK”も使ってくれているので私の中では非常に気に入っているのである。ランスロットとしてもっと活躍してほしかったのになー。




初めにも書いたが、今回改めて整理してみようと思わせてくれたのが『ツインピークス/リターン』に
登場したダイアンである。ドラマシーズン1、シーズン2ではクーパー捜査官が録音機に向かっていつも語り掛けるのだが、そのときに必ず“ダイアン”と呼びかけるのだ。そして今回の『リターン』でこの“ダイアン”がついに登場する。そのダイアンがもう本当にサイコーでめちゃくちゃカッコいい。ダイアンも“FUCK”を使うし、最初にも書いたが彼女の名言が飛び出すシーンが一度だけあるのだがそれが、“LET'S ROCK”である。こんなカッコいいオトナの女性が他にいるのか。ちなみに先日『ツイン・ピークス』の公式のグッズを海外のサイトから購入し、このダイアンとブルーローズのシャツを持っている。カッコよすぎるぜダイアン!!!

2018年5月2日水曜日

いい映画とは

 先日ネットで映画に関してコメントしているコメント欄?みたいなところをテキトーに散策していたのだが、その中で“いい映画”についてコメントしている人がいたのだが、その人は「フラストレーションを発散させてくれる映画。スリルや迫力があって、頭を空っぽにして観て、あー楽しかった、おもしろかったと言って思って映画館を後にするのがいい映画だ」というものである。私が思うに、すべての映画はフラストレーションを発散させるために作られているものであると思っている。もちろんその種類は様々で、その感じ方も様々である。しかし、ここでハッキリとしておきたいのがこのコメントをしている人のフラストレーションを発散させるというのはある意味ジェットコースターの様な楽しみ方に近いものだということである。感覚的な快楽である。それはそれで確かにおもしろいことは確かであるが、私はそこで「それって本当におもしろいか?」ということである。そもそもこれは人それぞれの感じ方や見方があるので、その人が一番いいと思っているのでいいのだが、今回見たコメントで少し疑問が浮かんだのである。もちろん私もそういったジェットコースターみたいな楽しみ方の映画を自らのぞんで観ていることはある。それはそれでおもしろいから。しかし、最近のハリウッド映画は本当にこういったジェットコースター的映画が増えたというかほとんどがそうなってしまっている。つまり映画が“商品”になってしまっているということである。金儲けが第一になってしまっている。マーケティングが入ってきて、これは興行収入狙いでいこう、これは賞レース用の作品でいこう、などと、そういうシステムで映画が作られている。今の時期から夏は興行収入狙いの映画がどんどん公開され、秋、冬は賞レース用の映画が公開される。
 私が小学生くらいのときはテレビではしょっちゅう映画放送されていたのを覚えている。当時は映画館なんてほとんど行くことができなかったが、テレビで放送されていた映画が私の映画への入口であった。正しい番組名は忘れたが、土曜日のゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場、木曜ロードショー、金曜ロードショー、時々水曜特別ロードショーなんかもあった。そして夜中にもたくさん放送されていた。しかし、今は映画はほとんど放送されていないし、ジブリばっかりである。映画離れというのは確実にあると思うし、あまり映画を知らない若者?が映画に求めるものがそういった“ジェットコースター的映画”なのではないかと思う。映画が商品となってしまったというのは、作り手側が「こういうストーリーにしたら当たるだろう」とか「こういったキャラクターを登場させれば当たるだろう」というメッセージもクソもなにもないことになってしまっている。その程度の娯楽で、快楽で、フラストレーションで、そしてそういう映画を観て私たちは「おもしろい、おもしろい」と言っているのだ。本当におもしろいか、それ。
 以前にも紹介したことがあるが『ロッキー』というこの作品は本当にすごい作品だと思う。これはボクシングの話であるが、これは紛れもなくスタローンそのものなのである。彼は役者の仕事がしたくてオーディションも何十回も受けて全部不合格で、シナリオも何十本も書いて全部ダメで、何をやってもダメな人間だったのである。本当にドン底でライオンの檻の中の掃除の仕事をしていて、貯金は全然ないし、そしたら奥さんが妊娠してしまうし、オーディションは全く受からないし、役者の才能がないのに俺はこんなことしていていいのかとずっと苦しんでいたのである。シナリオを書いたのはただ役者の仕事が全部ダメだったから始めたのである。その話をボクシングというストーリーにして作ったのがロッキーである。なのであのロッキーはスタローンそのものである。そしてロッキーというのは、生活はボロボロで、友達はいないし、まわりからはクズ野郎って言われて、テキトーにボクシングをやっていて、汚いヤクザの下で働いて小銭を稼いでいて、という中で偶然世界チャンピオンの目に留まり、チャンスが巡ってきたのである。しかしこんなものは試合にもなるはずがない。チャンピオンと田舎でテキトーにやっているヤツとの試合なんか、絶対にボゴボコにされて一瞬で負けることなんか誰にだってわかる。ただの見世物試合である。しかし、そうはならないぞとそこから地獄の猛特訓が始まるのだ。でもどうやったって勝つことは不可能。でも最後のゴングが鳴るまで俺は立っていればそれでいいんだ。チャンピオンに勝つことなんかできないのはわかっている。でも俺は自分に勝ちたいんだ。こんなクズみたいな俺でもなにか一つ成し遂げられることがあるんだということを世間に証明したいんだ。そして彼は自分に勝つことができたし、世間にも勝つことができたのである。それを観た私たちはどう思うだろうか。「自分もできるかもしれない」と思うのではないか。才能なんかなくたっていいんだ。運なんてなくたっていいんだ。根性があればいいんだ。どんなに相手が強くても、どんなに厳しい状況でも、どんなことがあっても絶対にギブアップだけしなければいいんだ。この生きている世界、社会、世間には絶対に超えられない壁がある。打ち砕けない壁がある。闘いすら挑めない挑んではいけない壁もある。それはわかっている。でも、それでも諦めないぞ、ギブアップだけはしないぞ、負けちゃいけないんだ、そう思えるんじゃないか。金儲けのための映画を観て、自分の心の中にあるイライラや苦しみ、辛さがなにか変わるのか、解消されるのか。その映画を観る前と後で、自分や人生が変わるのか。でもロッキーを観てどう思うか。現実には勝てないが、自分にだけでも勝ちたいんだ。そうすれば自分という人間を自分で嫌いにならないで済むだろう。こういうのがいい映画って言うのではないか。観る前と後とでは全然違う自分になっているはずである。観る前に持っていたイライラや苦しみ、辛さは確実に減っている。なぜならその“現実”と闘う技を教えてくれたから。せっかくお金を払って2時間3時間を“無駄”にして映画を観るのである。本当にいい映画っていうのは人生を変える、変えてしまう力があると私は信じているし、実際にそうである。作り手側が伝えたいこと、苦しみをぶつけたいこと、心の叫び、愛、それがあるから我々にも伝わってくる。金儲けのために作られた映画でそれだけの感動があるか、それだけリアリティーがあるか、人々の心を突き動かす何かがあるか。作り手側の根底にある心の叫びや苦しみ、悲しみ、そういうのを作品にぶつけている爆発させているのがいい映画であると思う。もちろん映画に限らず、音楽や小説でもそうである。
 最近観た映画で、『シティ・オブ・ゴッド』という映画を観た。この映画は有名な俳優、女優は誰一人出演していないし、監督も知らないし、ブラジル映画であるし、この映画を観た人はあまり多くはいないと思うが、本当にすばらしい映画だった。本当に美しい映画であった。これは全部実話なのだが、もうとんでもないスラム街があって、そこに住む男たちの話である。終始バイオレンス描写が強烈で、映画館では途中で出て行ってしまう人もいたみたいである。そこに住む人たちは5歳くらいから銃を持ってドラッグをやってという世界なのだ。20歳になるまでには20人くらいは殺しているのである。どうしようもやくドン底のような世界である。しかしその中の一人は、銃や殺し、ドラッグが嫌いで、写真を撮るのが好きな青年がいる。彼は元々好きな女の子がいて、その子にキレイな写真を撮ってモテたいと思って写真を撮り始めたのである。そのうち写真を撮ることが好きになり、のめり込んでいく。周りはみんなギャングで殺しやドラッグをやっているが、彼は自分の好きなことを貫き通している。周りは自分がなんのために生きているのかわからないから殺し合っているし、現実逃避したいからドラッグをやっている。でも最後の最後の最後に勝つのは写真を撮ることが好きなその青年が勝つのである。これが快感だろう。これを観たときに我々はどう思うか。どんなにドン底でどうしようもない救いようのない世界や環境、社会、街、身の周りでも、自分の好きなことを徹底してやり続けていたらいいことがあるかもしれない、と思うだろう。ラストを迎えたときに、「やったー!!!」と立ち上がってガッツポーズしたくなる。本当にいい映画だと思う。でもその現実の描写が強烈なので、なかなか観る人も少ないだろう。10歳の子どもが同じくらいの年の子どもの足を銃で撃って、それで泣き叫んでいるその子の頭を銃でブチ抜いたりする。人間の精神の許容範囲が全くわからなくなってくる。でもそれが現実としてあるということである。でもそれだけを訴えているのではない。ちゃんと闘い方を生き方を教えてくれるのである。今のハリウッドはこういう度胸のある映画はつくれなくなってしまったなー。こういう映画は人生経験になる。本当にそのスラム街にいるような感覚になる。実際にそこにいるくらい近い経験になる。そんなことができるのは映画しかないのである。これが映画体験である。映画を観る前と観た後では全く違う自分になる。なぜならその映画を観てしまったからである。「あぁ、明日から生き方変えよう」、「今から考え方を変えよう」、その力が本当にいい映画にはある。「あー楽しかった」で5分後には忘れてしまっているような映画は観てもしょーがない。2時間3時間が無駄である。人生短いんだよ。せっかく観るのであれば良い意味でも悪い意味でも自分の人生や考え方を変えてしまうようなすごい映画を観た方がいいに決まっている。そういうのが本当にいい映画だと思う。先日読者の方が『ファイト・クラブ』をご覧になった。この映画も本当に強烈な映画で、猛毒のような麻薬のような、それほどインパクトを与えるし、取り憑かれてしまう。平凡で、平和で、ぬくぬくとしあわせに暮らしていきたい人には全くもって理解できない映画である。資本主義のブタ野郎!!と中指を突き立てるチョーサイコーの映画である。こういう映画がいいと思う。人生変わるよ。変わってしまうよ。少なくとも私は映画にはそういった“力”があると信じているし、何度も映画に救われているのである。