2017年5月15日月曜日

『ガーディアンズオブギャラクシー:リミックス』

 今日は久しぶりに映画館に行ってきた。半年以上行ってなかった。最近映画館に行けておらず、観に行きたかった作品はたくさんあるのだが、まあいろいろあって(そんなにないが)なかなか行けなかったのである。今日は以前からめちゃくちゃ楽しみにしていた『ガーディアンズオブギャラクシー:リミックス』を観てきた。前作がサイコーにおもしろい映画だったので今回もものすごく楽しみににしていたのである。感想は………チョーサイコー!!である。よかったところはもちろ山程ある。ネタバレも含んでいるかもしれないので、これから観ようと思っているすばらしい方は読まない方がいいかもしれない。前作同様にノリのいい音楽が流れて映像とマッチし、すごくテンポがよかった。これもサントラを買わなければならない。キャラクターそれぞれが見せ場のなるシーンが丁寧に描かれていて、誰一人雑に扱われていなかった。そのキャラクターの個性も前作同様に引き継がれ、要所要所でそのキャラが発揮されるのである。そして最後まで本当のヴィランが誰かわからなかったのがよかった。まさかこいつがヴィランかと読めない展開にゾクゾクしてしまった。終盤、主人公のピーターが仲間との思い出が一瞬たが回想するシーンがあり、そこで涙腺が崩壊してしまった。そこからはどんどん涙が溢れてしまい、もう無理と思って、カバンの中からハンカチを取り出して目と鼻を押さえながらの鑑賞になった。前作は家族になるまでのストーリーで、今回は家族であり続ける過程を描いている。最後、重要人物の死があり、それによってピーターが気付いたことがある。私が一番好きなキャラクターの一人のアライグマの“ロケット”がいるのだが、その死に涙しているシーンは耐えられなかった。その死によって、かつての仲間たちが宇宙から集まってきたシーンも号泣である。前作も号泣していたが、今回もヤバイ。バカなことを言い合いながら、ケンカしながら、敵と戦って、そんな軽快でノリのいい映画だからゆえに、こういうジーンとくるシーンは心にグッとくるものがある。朝一で映画を観ていたのだが、パンフレットを買うのは観終わってからにしようと思っていたのだが、号泣してしまったので顔がもう自分でも見るに耐えない顔になっていたので、この顔でパンフレットは買いに行けないと判断し、別の日に改めて買いに行こうと思う。この映画は最低でも3回は観に行きたい。こういう泣いてしまう映画は本当は一人で観て、周りを気にせずに観たいのだが、なかなかそうはいかない。今日は平日で朝一ということもあり、横3席は誰もおらず、前後も誰もいなかったので今回はマシであったが。『マッドマックス  怒りのデスロード』で立川の極上爆音上映会で、映画の終盤で隣の知らない女性と私で2人揃って泣きながら観ていたのは、今思えばおもしろい(笑)。周りの人で泣いている人がいたらそれに乗っかることができるのだが、一人だとやはり周りを気にしてしまう(笑)。でも、今回の『ガーディアンズオブギャラクシー:リミックス』は本当にすばらしい映画であった。また観に行こうと思う。

バカを相手に

 異動してしばらく経過したが、まだまだ慣れないところがたくさんある。お店それぞれのやり方があるので、それはすごく勉強になる。毎日すごく忙しいお店なのであるし、お客が求めているものもおそらく日本一なので、そこは今までと違ってかなり気をつきなければならない。やることがたくさんあるので、毎日クタクタである。クレームをたくさん入る。面倒だが、そういうのも一つひとつ解決しなければならない。しかし、働く側がお客に合わせ過ぎているというのか、へりくだり過ぎというのか、そういうのは常に感じる。そうではなく、お客がお店側の対応に付け上がっているというのか、客だからといってデリケートになっているこちら側に乗っかってきているというのか、どちらにしてもそんな気がしている。お客様は神様だ、という言葉があるが、私はそんなものは認めていない。客は客である。もしお客様が神様なのであれば、神様はいちいちくだらないことでクレームなんか入れてこないだろう。そういうやりにくい面倒なことが山程ある。全く同じ接客をしてもクレームというか文句というかいちゃもんが入ることがある。「最近の若いは………」ともう教科書通りの文句というか愚痴なのか独り言なのか、そういうのを言われたことがある。「店の教育はどうなっているのか」とかくだらないババアの独り言を聞く羽目になった。その後に、「親の顔が見てみたい」と言われた。これがプライベートであればキレまくっているし、二度と立ち上がれないくらいに叩きのめしているところである。まあ仕事なのでテキトーにしのいだのだが、こんなこと言われたのは生まれて初めてであった。なぜここで親を持ってくるのか理解不能だし、全くもって関係ない。同時に親のことも悪く言っていることになる。私自身がああだこうだ言われるのにはまだ許せるし、仕方のないことかもしれないが、関係ない親まで出して悪く言うのには我慢ならない。言われた一瞬、すべて投げ出して引きずり回してやろうかと思ったが、こんなバカでクズなババアのためにすべて投げ出す価値なんて1ミリもないと思ったので、見た目はちゃんと、心の中ではチョーテキトーに謝って終わらせた。私は何も悪いことはしていないので、その後店長も含め他のスタッフからもなにも言われなかった。変な人もいるよねで終了である。客はあくまで客である。もちろん商品を買ってくださるお客様がいるから我々の給料が発生し、我々は生活できているのであるから、お客様には感謝しなければならない。だからといってバカなヤツのレベルにまでこちら側が合わせる必要はない。ここでは書かないが、オトナの事情があるのでそうはいかないのも理解できる。私は短期なので、バカはさっさと斬り捨ててしまえばいいんだよと思ってしまうのだが。客だからといって偉い存在になるわけではない。ビジネス上、販売する側とそれを買う側があるだけで、買ってくれる存在を大切にするだけである。ビジネスの世界、組織の中に上下関係などは存在するが、人間の世界に上下関係は存在しない。客は優れていて、販売する側が劣っているということは絶対にない。金持ちが偉いというわけでもない。なぜヒトというのは自分は優れていると勘違いしがちなのだろうか。自分よりも立場の弱いヒトをイジメようとするのか。そういうくだらないことで自分の存在価値を見出そうとしている低レベルなヤツが多過ぎるのでは。本当にくだらないと思う。もちろん自分自身も含めてである。冷たいな。愛がないな、愛が。もうちょっと考えなければならない。考えて言葉を口に出して、行動していかなければならない。人間は100年、1000年、1万年単位で考えてみれば、緩やかではあるが確実にまともになってきていると思う。例えば人種差別、女性差別などを見てみると、まだまだ至る所で存在しているのは確かだが、それを表面上だけかもしれないが、解決していこうとしている。ついこの間まで黒人差別とか女性差別とかあからさまな差別が目に見えて存在していた。それがここ数十年で少しずつではあるがマシな方向へきている。しかし、それに反発する宗教も存在する。原理主義かは知らないが、彼らも自分たちの考え、風習が世界から遅れてきていることも気づいている。それに反発して自分たちの存在をアピールするバカなヤツらも大勢いる。私は何度でも言うが、女性が優れているとか劣っているとか、男性が優れているとか劣っているとか、白人が優れているとか、黒人が劣っているとか、そういう“差別”は絶対に許さない。人間は絶対に平等である。それを日常生活単位で考え、以前にも言ったことがあるが、自分だけは、自分だけでも、“まとも”でありたい、あろうとしたい。