会社事情なので詳しいことは書けないのだが、今働いているお店が閉店することになり、4月下旬から違うお店で働くことになった。異動である。なので今閉店に向けていろいろ準備しているところだ。何をやればいいのか全くわからないのだが、とにかく片付けやらを進めているところである。
最近また寒くなってきている。そろそろ桜が咲くみたいなのだそんな気配はみられない。というか私が気付いていないだけだと思う(笑)。といっても桜が咲いたところで花見なんか行かないし、花見してるヒマなんてない。休みはあるから花見できるのだが、花見に休日は使いたくない。一人でゆっくりテキトーに歩いて桜なんか見て回るのはいいのだが、人と集まってお酒を飲んだりするのは面倒である。まあそれが楽しみの人も大勢いるはずだ。まだまだ寒いのに、お酒を飲むのが意味がわからない。トイレ事情もあるだろうし、どうしてわざわざそんな苦行を自ら選ぶのが理解できない。文句いってもしょうがないのでここまでにしておくが。
5月に映画『ガーディアンズオブギャラクシー:リミックス』という映画が公開されるのだが、これは続編で、『ガーディアンズオブギャラクシー』が一つ目の作品なのだが、この映画もめちゃくちゃすばらしい映画であった。アメコミのマーベルの作品が原作なのだが、マーベル作品で感動して泣いたのはおそらくこの『ガーディアンズオブギャラクシー』が初めてだと思う。随所随所涙が溢れてしまった。ストーリーはいってしまえば、ありきたりな内容なのだが、またこれか、というような感想は一切出てこない。そして音楽もサイコーなのである。70年代の音楽がいろんなところで流れるのだが、おそらく70年代を生き抜いた人は涙なしでは観れないだろう。それが本当に羨ましい限りである。泣くといっても、この映画のどこで泣くの?という人は大勢いると思うのだが、私はマジで感動して涙が出るのである。こういう映画は本当に希望とか元気とかそんなものを私たちに与えてくれるんだなあ。しかも大ヒットしている映画なので、世界的にもこういう映画を求めている人が大勢いるということだ。マジでサイコーの映画なのでこれはオススメである。何も考えずに観れて熱くなれる映画だ。なんかイヤのことあってもこんな映画で救われる。また改めて書こうとと思うが、『キングスマン』、『キックアス』という映画もマジでサイコーの映画であった。これはどちらも同じ監督で『キングスマン』はイギリス、『キックアス』はアメリカで、その国らしい映画だ。これも本当に元気が出る映画である。こういう映画に出会うことができて、本当にしあわせである。
職場とか生活している中で、いろんな話をしているし、考えることがあるのだが、本当に世の中にはいろんな人がいるんだなと改めて思う。自分では考えられないことがその人にはそれが普通であったりするし、自分さえよければいいと思ってる人もいっぱいいるし、オトナの世界でもイジメが当たり前のようにあるし、それぞれの人生のストーリーがあるし、すばらしい人もいるし、ブッ殺したくなるヤツもたくさんいるし、見ていて聞いていて絶望するようなこともあるし、まだまだ捨てたもんじゃないと思うこともあるし、もう本当にいろんなことがある。その中でも自分だけは“まとも”でありたいと思っている。人と同じように見られたくないし、同じことはしたくないと常に思っているのだが、この“まとも”というのはそうではなく、自分の存在価値というのか考えというのかどう表現したらいいかわからないが、そんな感じの“まとも”である。大勢の人はこう言うけど、あいつはこう言うよね、あいつはこう言ってたよね、みんなはこうするけど、あいつだったらこうするよね、こうしてたよね、そんな“あいつ”になりたいというか、そうありたいと願っている。なぜここでこんなこと書いたかは私自身もわからないし、映画のくだりとはなんの関係もないかもしれないのだが、私の中ではすごく関係しているし、最近やることとか考えることがたくさんあるのか、思考停止したくなるときもあるが、やっぱり人間は常に自分で考えて行動しなければならないし、話をしないといけない。苦しいこととか悲しいこと、辛いこと、しんどいこと、ダルいこと、そんなものは誰にだってある。もちろん楽しいこと、うれしいこともある。今まで自分が見てきたもの、経験してきたこと、聞いてきたこと、考えてきたこと、それらを通して、そんな中で自分の考え、行動が紛れもない“自分自身”である。人と違って当然だし、合わせる意味もないし、こう考えると本当にいろんな人がいるということ。そんな中でも、自分だけは“まとも”でありたいと思っているのだ。何を書いてるのかわからなくなってきたのでこれで終わりにするが、本当にいろんな人がいるよな、っていうことである(笑)。