2013年4月29日月曜日

大学でお世話になった方からのメール

 世間はゴールデンウィークとお楽しみモードに入っているが、私にはゴールデンウィークはない。百貨店ということで、休日こそ稼ぎ時ということだ。まあ、今の私には販売を向上させるようなテクニックはまったくもっていないので、ひたすら勉強ということである。それにしても大変なことばかりである。社会人として働くのとアルバイトでは天と地ほどの差があるのを痛感する。いつしか誰か、アルバイトでも社会勉強できる、と言っていた人がいるが、所詮アルバイトはアルバイトだ。その差は歴然である。

エンパイアステートビルディング
先日、大学時代にお世話になったキャリアセンターの方にメールを送っていたのだが、その返信が届いた。2週間ほど前に送っていたので私もすっかり忘れていたのだ。内容を見てみるとその方もかなり忙しく大変だったそうだ。そのため、自宅に戻ってもメールチェックできなかったらしい。しかし、元気そうでなによりであった。
 今年の1月末で大学の授業は終わり、春休みに入ったのだが、前回のブログでも触れたように、大学生活でお世話になった方々に挨拶回りをしていたのだが、もちろんこちらの方にも挨拶しに行った。とは言ってもこの方とは暇があったら話をしに行っていたので、この挨拶といってもまた話をしに行ったものなのだが。この方もアメリカに何度も足を運んでいて、特にお気に入りの街はニューヨークだという。社会人になる前にもう一度アメリカ行きたいな、という話をしていたのだ。その時は行きたいという希望で、その方とはお別れしたのだ。
 しかし、3月になって突然「行かなければ」という気持ちになった。卒業式には行かないだろうと思っていたし、自分なりのお別れの仕方で、足早に4年間お世話になった青森をあとにした。足早といってもそれは行動であって、4年間を振り返らなかったわけではない。4年間あっという間に過ぎ去ったが、いろいろなことがあったのを思い出していた。そこで区切りの何かが欲しかった。学生時代は学生時代でひとくくりにしたかった。学生としてのけじめをつけ、心を一新する何かが欲しかったのだ。卒業式で一新できるとは思わなかった。それでアメリカに行こうと決めたのだ。
 1週間後の航空券をゲットし、ホテルを予約し、アメリカドルに両替した。2年前は約2ヶ月かけて準備をしていたが、今回は1週間で準備した。どこに行こうかとかはほとんど考えなかった。2年前に行けなかったところには行こうとだけ考えていた。学生最後の一人旅でニューヨーク、ワシントンD.C.へ。。そしてこれが私の“卒業式”。誰かと一緒に卒業旅行とは考えもしなかった。これは遊びではないからだ。“けじめ”だから。
 今回の旅でもいろいろ大変なことがあったが、やっぱり最高だった。今度青森へ行った時に、大学のキャリアセンターの方とお会いしたら今回の旅のことを報告する。メールでもそう約束している。そのようなメールが届いたので、こんなことを考えたのであった。

2013年4月21日日曜日

新しい生活

 久しぶりの投稿である。前回の投稿は2月で研修前であった。今は4月で季節は春となり、私は社会人となり、東京に住んでいる。この2ヶ月の間、様々なことがあったが、それはおいおい投稿していこうと思う。
 3月の最終週から2週間、社内研修があり、そして1週間店舗研修、そして1週間工場研修、そして明日月曜日からはとりあえずの本配属となり、私は横浜のとある百貨店で働くこととなった。慣れないことばかりなのでかなり大変であった。大変なのは仕事であり、生活面ではなんの心配もない。なのでそれは助かっている。大阪とも距離が近いので、気持ちとしては楽である。人が多いことにも戸惑うこともない。至って普通。電車の時間を気にしながら動くこともない。数分後にはまた次の電車が来る。やはり都会はいい。新たな生活が始まり、そう思うのである。


大学へ向かった最後の日の道
さて、2月からこの2ヶ月間は激動の2ヶ月であった。東京で研修を2週間ほどやり、一旦大阪へ戻り、そしてまた青森へ戻り、引越しをし東京で引越しの荷物を受け取り、、大阪へ戻り、教育実習で担当をした学年が卒業式であったのでそれに参加し、そのあとすぐにアメリカへ行き、大阪に戻ってきてすぐに東京にきた。そして社内研修が3月最終週から始まったということである。移動しまくりの2ヶ月であった。
 青森とお別れをしたのは3月3日である。青森の友人ともお別れの挨拶をし、青森をあとにした。ゆっくりと物思いにふけって4年間を振り返るのも良かったのだが、私はせわしなくあとにしたのだ。振り返ることよりも次のステージに向かいたかったのかもしれない。学生の最後の儀式として卒業式があったが、それにも参加していない。日程を合わせれば行けなくもなかったが、優先順位として卒業式は高くなかった。結果的に卒業式は日程には組まれなかった。しかし、大学でお世話になった教授の方々、事務局の方々、そして友人たちにはきちっと最後の挨拶をした。卒業式ではゆっくりと話ができないので。だから卒業式には出る必要がなかった。ある意味、これが私のやり方なのかもしれない。そして私らしいのかもしれない。
 卒業式は友人と会うのが最後かもしれないというが、そんなことはない。会いたいのであればどこにいようともいつでも会える。その気さえあれば。おそらく大学で出会った人ほとんどはもう2度と会わない人が多いだろう。それは中学を卒業しようとも、高校を卒業しようとも、大学を卒業しようとも同じことだ。それ以降も続く友人は数える程。悲しいことかもしれないが、そういうものだ。携帯電話に保存されている友人などのアドレスは多いが、使用されるアドレスは少ない。続く友人はお互いに尊敬し合い、刺激し合い、助け合い、笑い合えるからだ。気の合う奴とはこういうことをいうんじゃないか。
 
 

 とにもかくにも、まだ部屋が片付いていないので、それを早く片付けることにしよう。大学の時みたいに頻繁に投稿することは難しいかもしれないが、できるだけ投稿しようと思う。新たなスタートを切ったので、ブログ名も変えようかなと思う。今考え中。