2017年4月19日水曜日

『キックアス』、正義への思い

 一つ前の投稿では、六本木の東京ミッドタウンにあるオープンテラスみたいなところに座って記事を書いていたのである。久しぶりに少し東京の街を歩いた。歩いていると汗をかくくらいに暑かったが、歩くにはもってこいの気候であった。最近なかなか歩くことができなかった。お店の閉店作業とか次のお店の入店研修とか健康診断とかなんやらで休日もほとんどまともな休日がないくらいで、久しぶりのまともな休日な感じであった。昼前から雨が止んで晴れてきたし、ちょうど買い物もあったので、久しぶりのウインドウショッピングも兼ねて歩いていたのである。最近というかずっとパソコンの調子が悪いので、最近はiPhoneから投稿しているということで、このブログを始めて以来、初めて外で記事を書いたのである(笑)。別に大したことではないが(笑)。15時くらいには家に戻り、前回の投稿で書いたように今回は『キックアス』について書こうかなと思う。3回目を読み終わった。最近こういう映画関連の記事が続いていて、違う内容の記事も書きたいところなのだが、最近やることが本当に映画しか観ていないという腐敗堕落しきった生活しかしていないという状況である。休日になると朝起きて映画を観て、昼にも映画を観て、昼寝して、映画を観て、お風呂に入って、ご飯を食べながら映画を観て、寝る、とそんな休日である(笑)。本当に腐敗堕落している(笑)。しかしそれが私にとって至福のひとときなのだが。前回の投稿で、アメコミを買ったりとお金をまた使ってしまったと書いたが、やはり知識とかそういうのを増やしていこう、深めていこうと思ったら、本やら雑誌やらDVDやら資料やら必要なものが絶対に出てくる。それをお金を使わなかったら絶対に知識は増えないし深まっていかない。貯金するのもいいが、そういう自分自身を広げていくモノ、ことにはお金を使わなければならない。最近ではネットが発達していて、知識を得ようと思えば一瞬で調べられてしまうのだが、このネットでの情報はほんの一部しかのっていない。そのネットで調べて、知ったつもりになるのは明らかに間違いである。やはり本当の情報を得るには、その本、専門書などを読まないと本質はわからない。ネットで満足する人間が増えているみたいだが。状況にもよるが、知識を得るのは早ければ早い方がいい。今知識を得れば、その知識は残りの人生に使っていける。しかし、死にかけのときに知識を得ても、その知識を使うのは残り少ない。もちろん死ぬまで勉強だが。いろんなことを知る、学ぶのは本当にすばらしことである。
 話がまたまたそれてしまったが、この『キックアス』は映画から入った。映画は『キックアス』、『キックアス  ジャスティスフォーエバー』と2作品あり、コミックは、『キックアス』、『ヒットガール』、『キックアス2』、『キックアス3』の4作品ある。今回どういう内容を書こうか迷ったが、映画とコミックの違いにしようかとも思ったが、ネットを見ていると、やはりその映画とコミックの違いについてすでに書いている人がいたし、そっちの方がより詳しくわかりやすく書いていたので私の出る幕はないと思ってしまった(笑)。もちろん書いている人それぞれの意見、捉え方があって、それを読むだけで楽しかったのだが。この『キックアス』の特徴は何かというと、やはり1番に挙げられるのはバイオレンス描写だろう。映画でもそうだが、コミックは本当にヤバイ。殺人殺戮残酷残虐死体だらけ血だらけの真っ赤っかである。しかもそのほとんどが“ヒットガール”が殺されるべき人間を殺しまくるのである。今回の主人公はデイヴという少年がいて、スーパーヒーローにあこがれているのだ。こんな何百万人もいるのに、ロックスターやハリウッドスターにあこがれてマネする人は多いのに、なぜスーパーヒーローのマネをする人はいないのだろうと思って自分がスーパーヒーローになろうとする話である。このデイヴはただのアメコミ好きの少年なので、なんの力もない。スーパーマンは宇宙人だし、バットマンは大富豪で兵器を使うし、スパイダーマンは蜘蛛に噛まれて特殊能力を手に入れるが、このデイヴは、ただの人間。その設定に我々読者は親近感を覚えるのだ。でもやっぱり現実は違う。その辺のギャングにボコボコにされて死にそうになる。そこで高度な訓練を受けた本当のスーパーヒーロー“ヒットガール(少女)”、そしてその父“ビッグダディ”と出会って大きな事件に巻き込まれていくのだが、ここでやはり考えなければならないのが“正義”とはなんなんだ、ということである。今は映画もコミックも区別なく話をするが、デイヴはできれば人殺しはしたくないと考えている。一方ヒットガールは、自分がやっているのは殺人ではなく、処刑なんだという。死ぬに値するヤツ、生きていてはいけないクソ野郎どもは躊躇なくブッ殺してしまう。しかし、普通に考えてみればヒーロー自体、精神異常なのである。そしてその“正義”は人それぞれの在り方考え方があり、人によって全然違うということである。つまりスーパーヒーローの物語は、ある意味正義と正義の戦いなのかもしれない。話がそれるが、タランティーノ監督の映画『ヘイトフルエイト』での話だが、自称首吊り役人が言うのだが、自分は処刑人だから悪いヤツを連れてきて俺が首を吊って殺せばそれは正義だ、と。しかし、それでは納得しないと言う人がいる。殺人犯に殺された遺族がその殺人犯を殺せば、そっちの方が人受けもいいし、みんなそっちの方がスッキリするしカッコいいから好きだと言うが、それは“西部の正義(フロンティアジャスティス)”であって、“正義”とは違うと言うのである。それぞれ自分の正義がある中で戦っているのである。警察もデイヴも周りいるヒーローたちも誰も手が出せない絶体絶命の状況下で、ヒットガールただひとりが敵に立ち向かっていくところがある。そのとき、「ゲーム開始よ、マザーファッカー」とヒットガールが言うのだが、そこで涙が出てしまう。誰もできないしやりたくないし殺されるかもしれない、といろんいろ躊躇してしまうが、ヒットガールだけは迷わず立ち向かっていくのだ。もちろん人殺しを賛美しているわけでもないし、絶対にやってはいけないことである。しかし、己の正義に迷わず突き進んでいくヒットガールの決意、パワーがある。それにある種の美学がある。デイヴはスパイダーマンの話に出てくるあるシーンの言葉、“偉大な力には責任が伴う”というのに対し、自らに問いかけるのだ。じゃあ“力がなければ責任は伴わない”のか?と。そうじゃないだろと自分で答えを出す。デイヴは、街で起こっている暴力に対して誰もが見ているだけで、俺はそれが許せないんだ、と。その暴力に俺が止めに入ってそれによって命を落とすことになったとしても俺は構わない、死んでも構わない、と。悪いヤツがいるからそれを止めてくれる存在が必要なのだ。今日家族が友達が隣に住んでいる人がこの街に住んでいる人たちが安心して眠れるためにヒーローが必要なんだ。そしてそのための手段はヒーローそれぞれ違う。だが、正義への思いは同じなはずだ。私は確かに、“デイヴの正義”、“ヒットガールの正義”を感じ取ることができたように思う。
 改めて明白にしておきたいが、私は殺人オッケーと言っているわけではない。何度も言うが、殺人は絶対にやってはいけないことである。話は少し変わるが、今回の映画だけでなく、こういった残酷シーン、残虐シーン、など殺人とかそういったものは目を背けずにちゃんとみておかないといけないと思っている。いつだって、常に、自分が人を殺す立場になる可能性があるという危機感はどんなときでも持っておきたいからである。そういった残虐残虐シーンを見たときに、当たり前だが、「恐い、ヤバイ」と感じる。これは正常な反応である。以前にも書いたが、自分自身が“愚かさ”、“不潔”、“残酷”、“恐怖”ではなく、自分自身を“正しい”、“美しい”、“清潔”、“きれい”といった清廉潔白であると信じている人は、自分自身が人を殺す立場になるわけがない、殺人なんて私には関係ないと思っている。私はそう思っている人が一番危ない危険な人だと思っているのである。人間は残酷になろうと思えばどこまでも残酷になれてしまう愚かな生き物である。ホロコーストはある意味、そういった人間の可能性を見せてしまった出来事である。自分がもしその時代に生まれ、ホロコーストする側であれば当たり前かのように虐殺しているんだと思う。当時の風潮としてそれが当たり前であれば。そういう時代であれば、風潮であれば、周りがそうであれば、最初はイヤと思っていたとしても人間慣れてしまえばなんとも思わなくなる。人間は簡単にどこまでも残酷になれる。自分自身がそういった残酷なことに対して無関係だと言って考えていない無視している人は、そういった時代であればより簡単に自分自身がやる側になっている。だから私はそういった残酷シーン、残酷シーンに対して目を背けずに直視し、「恐い、ヤバイ」と思う感じる正常な感情を確認したいのだ。
今回書き切れなかったことはまた思い出したらテキトーに書いていこうと思う。でもこの『キックアス』は本当すばらしい作品であった。これからもどんどんコミックを読んで映画を観て、考えを、深めていきたい。

2017年4月18日火曜日

アメコミ

 先日、働いていたお店の最終出勤日であった。その日に合わせてやらなければならないことが山程あり、まぁ最終日はほとんどやることが終わっていたので、スムーズに退店することができた。次の日は営業はしないが、後片付けということで、物を他店、本部に送ったり、棚卸しをして決算をしてという作業を行い、とりあえず無事に終えることができたということである。2日休みをもらって新しいお店に行く。もっと休みが欲しいところだが文句は言えない(笑)。

 昨日の夜か夕方か忘れたが土砂降りの雨になり、そのときは家にいて問題なかったのだが、最近急に暑くなってきた。ついこの間までは少し寒いくらいだったのが急に季節が変わったみたいである。気がついたら夏になっているんだろう。早いものである。
 ネットサーフィンしていて、いつものように映画とかいろんな情報を集めたりしていて、その日はアメコミについて調べていたら、とある人が「アメコミを読んでいなくてバットマンが好きと言っている人はモグリである」という言葉が飛び込んできた。それ俺だ〜〜〜、とショックを受けてしまったのである(笑)。確かにそういう映画はアメコミを元にして作っているので、映画だけでは到底そのキャラクターやストーリーを理解することはできないのである。アメコミは唯一以前紹介したことのある『ウォッチメン』しか読んだことがない。確かに『ウォッチメン』を読んだとき、映画だけでは理解できないことが山ほどあった。その他の作品もどんどん読んでいきたいと思ったのだが、アメコミは日本のマンガと違って一冊の値段が高いのである。例外を除いてアメコミは全ページカラーで版が大きい。ものによって違うが、だいたい一冊2000円から4000円くらいするのである。なのでなかなか手が出せないというわけである。しかし、先ほどのとある人の言葉は確かにその通りだと思い、ついに私もアメコミを少しだが読む決心をしたのである。もちろん興味のあるものだけである。まず、最近めちゃくちゃはまっている『キックアス』である。これは全部で4冊しかないので、すべて揃えた。4冊といってもこれだけで1万円近くしているのだが(笑)。これはamazonで購入した。ちょうど新宿に行く用事があったとき、新宿にある紀伊国屋書店へ行き、『バットマン』を購入した。しかし、このバットマンは冊数がすごく多い作品で、すべて揃えるのは金銭的にも厳しいので、その中でも興味をもったものだけ揃えることにした。『バットマン  ロングハローウィン1・2』、『バットマン  イヤーワン・イヤーツー』、『ダークナイト  リターンズ』、『バットマン  キリングジョーク』、『バットマン  アーカムアサイラル』、『バットマン  ハッシュ』を購入した。ついでに『ゴーストライダー  破滅への道』が置いてあったのでそれも購入した(笑)。ゴーストライダーは映画はめちゃくちゃおもしろかったので大好きなキャラクターの一人である。真っ黒けっけで燃えているガイコツが敵を殺しまくるのがサイコーにカッコいいのである。話がそれてしまったが、これだけでかなりのお金を使ってしまったのである。
 私は日本のマンガはほとんど読んだことがない。大学のとき、友人にすすめられて『スラムダンク』を読んだくらいだろうか。いろいろ聞いたり調べていると、日本のマンガは世界一だ、という意見をけっこう見るし聞くことが多いのだが、確かに言いたいことはわかる。読み易さであったり、表現の仕方、表現力、線の描き方などなど、私はマンガに関してはほとんど知識がないので上手く書くことができないのだが、確かに日本のマンガはすばらしいと思う。私は日本のマンガとアメコミは全くの別物と考えており、比べることはできないのではないかと思っている。理由は全然違うから(笑)。アメコミも詳しくないのでこれも上手く書けないのだが、私が感じたのは、アメコミは1ページ1ページがものすごく重たいというか、言葉、表には出てこない心の声が多いということであろうか。アメコミのほとんどはスーパーヒーローもので、私が読んだアメコミ全て私たち読者もちゃんと考えなければならない内容なのである。もちろん日本のマンガは考えなくていいと言っているわけではない。アメコミはものすごく哲学的と言ったらいいのか、道徳、倫理、葛藤、正義、恐怖、残酷、そういったものをものすごく掘り下げて掘り下げて描かれており、頭をフル回転させて読んでいかないと到底理解することができないのである。私はチョー頭が悪いので尚更である。『ウォッチメン』、『ダークナイト  リターンズ』が出版されて以降、それまでの勧善懲悪なストーリーは書くことができなくなったと言われている。そしてアメコミ離れしていた人を一気に返り咲かせた作品でもある。今回購入したアメコミで、『バットマン  アーカムアサイラル』、『バットマン  ハッシュ』以外はすべて読み終わっているのだが、やはり一度読んだだけでは理解仕切れない。しかし、本当におもしろい。なぜもっと早く読んでおかなかったのかと自分を責めている(笑)。内容がかなり残酷表現が多く、全く子供向けではない。大人が読む作品である。
 アメコミのスーパーヒーローたちはアメリカの人にとってすごく重要な存在なのである。そして身近な存在なのだ。9.11があったとき、アメリカの人たち、ニューヨークの人たちは絶望してしまったのである。本当はヒーローなんていないんだ、と。9.11が起こったにも関わらず、次の連載で今日もヒーローたちは活躍しています、なんてそんな連載はできないのだ。とりわけニューヨークで活躍しているヒーロー(バットマン、スーパーマン、スパイダーマンなど)は。そこでDCもマーベルも9.11の直後号外を出した。9.11が起こったとき、ヒーローたちは駆けつけたのだが遅かった。そこでヒーローたちは見た。そこには貿易センタービルが倒壊した瓦礫の中で、必死になって人々を助けているレスキュー隊、消防士たち、警察たち。彼らを見てヒーローたちは言った。「彼らが本当のヒーローだ」と。DCもマーベルもこれで決着をつけたのである。その話を聞いたとき、私は涙が出た。それほどまでにアメリカの人たちにはスーパーヒーローが欠かせない存在なのだと。
 今回読んだ作品の感想を書きたいところだが、まだまだ理解しきれていないので、もう少し理解を深めてからにしよう。バットマンはまだまだ厳しいが、キックアスは次の投稿くらいに書いてみたい。まだ2回しか読んでいないので、今日3回目読む予定なので、映画、アメコミを合わせた感想を書けたらと思う。気が変われば書かないが(笑)。

2017年4月5日水曜日

感動する映画に出会う秘訣

 今回もiPhoneからの投稿である。このiPhoneからの投稿で鬱陶しいのが、パソコンで入力するときの字のフォントが違うことと、写真を載せるのが困難というかパソコンと勝手が違うので、思ったように写真を載せることができないということである。これはなんとかならないものか。前回それでめちゃくちゃイライラしていたのである(笑)。

 前回の投稿で読者の方の一人から質問があり、泣けるほど印象に残る映画にたくさん出会える秘訣とは何か、というご意見をいただいたので今回はそらについて書いていこうかなと思う。
 とはいっても私も本当に何も考えずに、これおもしろそうだな、くらいしか考えていないのが事実である。読者の方の質問にもあったのだが私も、好きな俳優が出演している、好きな監督の作品、好きなシリーズ、続編、を観るのが中心である。昔は好きな俳優が出演している作品をメインに観ていて、その俳優を観ているだけでしあわせな気分になれるものであった。だんだん成長するにつれて、食わず嫌いはよくないと思うようになり、私があまり興味がなくても友人のオススメだったりするとちょっと観てみようかなというので観てみておもしろかったりして、新しい発見をすることもある。本当に興味がないものはすすめられても観ないのだが(笑)。あとは好きな監督が担当している映画はやはりハズレが少ないというのもある。監督それぞれ“クセ”があり、その“クセ”が好きであれば楽しく観ることができるが、その“クセ”がなかなか受け入れられない場合はやはりおもしろくないだろう。私はクエンティン・タランティーノ監督が好きな監督の一人なのだが、タランティーノ監督はその“クセ”がかなりあり、それを楽しめるかどうかがキーとなってくる。それを楽しめたらすごくおもしろい映画となる。
 新作の棚を片っ端から観るというのはやっていない。質問にあったように、観るだけ時間の無駄だったという残念な映画もあるのは事実である。しかし、残念な映画かどうかは観てみないとわからないというのが本当に悲しいことなのだが(笑)。私は評論家ではないので、観たくないものは観なくていいので、本当に興味を持ったものしか観ないようにしている。もちろんハズレもある。例えば最近だと、『シン・ゴジラ』、『スーサイドスクワッド』はおもしろくなかった。『シン・ゴジラ』はすごく人気があり、話題にもなり、賞もたくさん受賞していたが、私はこれのどこがおもしろいのか理解できなかった。あと、『スーサイドスクワッド』は公開前、DCコミックの作品ということですごく期待していたというのもあり、期待値が物凄く高かったのだが、実際観てみると拍子抜けしてしまったというか、期待値にはほど遠い作品であった。これは残念であったし、この続編が決定しているが、おそらく監督は変わることになるだろう。今メル・ギブソンに監督を交渉中なのだとか。メル・ギブソンは『マッドマックスシリーズ』、『リーサルウェポンシリーズ』で有名な俳優だが、最近人種差別発言などでハリウッドから干された状態だったが、今年の6月に『ハクソーリッジ』という映画が公開されるのだが、この作品をメル・ギブソンが監督をしていて、これは物凄くすばらしい作品になっているみたいだ。メル・ギブソンは過去に『ブレイブハート』という映画で、アカデミー賞作品賞を受賞したりしていて、メル自身が、俳優よりも監督の方が向いていると言っているくらいで、人種差別発言以外は、メルに映画を撮らせたら本当に天才だというくらいである。シルヴェスター・スタローン主演の映画、『エクスペンダブルズ3』では、メル・ギブソンは悪役で出演しているが、スタローンは本当はメルに監督をやってもらいたかったという。スタローンが認めているすばらしい人物だということである。話が脱線してしまった(笑)。
 予告編の動画を観たときにおもしろそうかどうかを決めることが多いかもしれない。あといろんな人がオススメしている映画で、その映画のあらすじを読んでみて、おもしろそうかどうか。だいたいそんな感じで観る映画を決めているような気がする。私はおもしろくない映画だったとしても、一応興味を持って望んで観ているので、その中でも良いところを見つけるようにしているので、本当にダメだったというのはあまりないかもしれない。本当に興味のない映画を観せられたら途中で寝ていると思う(笑)。私は感動するラインというかレベルはかなり低いのではないかと思う。つまりなんでも感動してしまうということである(笑)。そして気がついたら涙が出ている(笑)。それくらい映画に集中しているということか、映画の世界に自分もいるというのか、主人公たちのメッセージや思い、それらの背景、今まで生きてきたストーリー、苦しみ、悲しみ、苦労、葛藤なんかがいろいろ重なってしまって感動してしまうのかもしれない。私たちが生活しているこの現実では、はっきりいって本当に鬱陶しいこと、ムカつくこと、イラつくこと、絶望すること、死にたくなること、矛盾していること、おかしなこと、間違っていること、間違っているとわかっていてもそれに気がつかないフリをしていること、偽善ばっかりなこと、イジメがあること、差別があること、そんなことが山ほどある。くさった世の中で世界で、そんなことばっかりで本当に生きているのが辛くなってしまう。しかし、映画の世界ではそういうものに対してはっきと“NO”を叩きつけてくれる。気持ちのいいくらいに悪人どもを皆殺しにしてくれる。世の中の疑問や難題、みんなが言いにくいこと、避けていることに対して、主人公でもちょー悪役でも、「そんなの知ったことか!知るかそんなこと!そんなもクソもない!やかましいわ!」とハッキリ言い切ってくれる。そういうので私は救われている。そういうところに私は自然と涙してしまうのである。
 私は同じ映画、音楽を何度も繰り返し観たり聴いたりするタイプで、そのときのブームみたいなのがある。そのブーム期間はそればっかりで他は気にならない。そのときに次のブームが出てきて、またその次に違うブームがきて、とそういうのの繰り返しである。全く新しいものに手を出すのはなかなか勇気がいるし、ハズレたりするのはもちろん怖い。なのでやはり関連、関係しているところから徐々に広めていくのがいいのかなと思っている。例えば、上でも書いたが監督関連であったり、好きな俳優、アーティストつながりであったりするのがハズレは少ないはずである。バットマンが好きであったら、今度はスーパーマンを観てみようとか、バットマンの宿敵のジョーカーの作品を観てみよう、ジョーカーが出ているアメコミを取り寄せてみようとか、バットマン、スーパーマンはDCコミックなので今度はマーベル作品の映画を観てみようとか、そんな感じで興味の幅を広めていくのがいいかもしれない。私は洋楽なんかは、映画の挿入歌として使用されたもので、すごくよかった曲のCDを買ったりするのが多い。現実の人間関係でも、初めて会う人は緊張してしまうが、友人の紹介なんかであればまだ安心感があるし、緊張もそこまではしないだろう。私はその作品のブームが過ぎ去っても、何ヶ月後かにまた同じブームが来るので長い目でみれば本当に繰り返し観ているということになる。自分の見解を広げるという意味では、自分が今まで興味がなかったものにも少し踏み込んでみるのもいい。そっちの世界にはやはりめちゃくちゃ詳しい人がいるし、その詳しい人が初心者向けに紹介してくれているサイトなどもたくさんあるので、そういうのも参考にしている。
  今回、ご質問にちゃんとお答えすることができたかどうかはわからないが、私が感動する映画に出会う秘訣ということで書いてみた。書き終わってみて、そんな秘訣というほどのことがなかったことに今気が付いた(笑)。めっちゃ普通やん!!と言われてしまうかもしれない(笑)。しかし、そんな感じで私は映画を観ているし、探している。これから公開される映画も、過去の作品でも、これからもいろんな映画を観て、自分自身を充実させていきたい。

2017年3月26日日曜日

“まとも”

 今回はiPhoneから投稿しているのだが、パソコンの調子が悪いみたいで、エラーが表示されて更新できない状態である。それを解決しなければならないのだが、私はこういうのが苦手なのでなかなか解決できずにいる。自然治癒するかも、と甘い考えでいるのだが、まずそれはあり得ないだろう。なんとかして解決しなければならない。

 会社事情なので詳しいことは書けないのだが、今働いているお店が閉店することになり、4月下旬から違うお店で働くことになった。異動である。なので今閉店に向けていろいろ準備しているところだ。何をやればいいのか全くわからないのだが、とにかく片付けやらを進めているところである。

 最近また寒くなってきている。そろそろ桜が咲くみたいなのだそんな気配はみられない。というか私が気付いていないだけだと思う(笑)。といっても桜が咲いたところで花見なんか行かないし、花見してるヒマなんてない。休みはあるから花見できるのだが、花見に休日は使いたくない。一人でゆっくりテキトーに歩いて桜なんか見て回るのはいいのだが、人と集まってお酒を飲んだりするのは面倒である。まあそれが楽しみの人も大勢いるはずだ。まだまだ寒いのに、お酒を飲むのが意味がわからない。トイレ事情もあるだろうし、どうしてわざわざそんな苦行を自ら選ぶのが理解できない。文句いってもしょうがないのでここまでにしておくが。

 5月に映画『ガーディアンズオブギャラクシー:リミックス』という映画が公開されるのだが、これは続編で、『ガーディアンズオブギャラクシー』が一つ目の作品なのだが、この映画もめちゃくちゃすばらしい映画であった。アメコミのマーベルの作品が原作なのだが、マーベル作品で感動して泣いたのはおそらくこの『ガーディアンズオブギャラクシー』が初めてだと思う。随所随所涙が溢れてしまった。ストーリーはいってしまえば、ありきたりな内容なのだが、またこれか、というような感想は一切出てこない。そして音楽もサイコーなのである。70年代の音楽がいろんなところで流れるのだが、おそらく70年代を生き抜いた人は涙なしでは観れないだろう。それが本当に羨ましい限りである。泣くといっても、この映画のどこで泣くの?という人は大勢いると思うのだが、私はマジで感動して涙が出るのである。こういう映画は本当に希望とか元気とかそんなものを私たちに与えてくれるんだなあ。しかも大ヒットしている映画なので、世界的にもこういう映画を求めている人が大勢いるということだ。マジでサイコーの映画なのでこれはオススメである。何も考えずに観れて熱くなれる映画だ。なんかイヤのことあってもこんな映画で救われる。また改めて書こうとと思うが、『キングスマン』、『キックアス』という映画もマジでサイコーの映画であった。これはどちらも同じ監督で『キングスマン』はイギリス、『キックアス』はアメリカで、その国らしい映画だ。これも本当に元気が出る映画である。こういう映画に出会うことができて、本当にしあわせである。

 職場とか生活している中で、いろんな話をしているし、考えることがあるのだが、本当に世の中にはいろんな人がいるんだなと改めて思う。自分では考えられないことがその人にはそれが普通であったりするし、自分さえよければいいと思ってる人もいっぱいいるし、オトナの世界でもイジメが当たり前のようにあるし、それぞれの人生のストーリーがあるし、すばらしい人もいるし、ブッ殺したくなるヤツもたくさんいるし、見ていて聞いていて絶望するようなこともあるし、まだまだ捨てたもんじゃないと思うこともあるし、もう本当にいろんなことがある。その中でも自分だけは“まとも”でありたいと思っている。人と同じように見られたくないし、同じことはしたくないと常に思っているのだが、この“まとも”というのはそうではなく、自分の存在価値というのか考えというのかどう表現したらいいかわからないが、そんな感じの“まとも”である。大勢の人はこう言うけど、あいつはこう言うよね、あいつはこう言ってたよね、みんなはこうするけど、あいつだったらこうするよね、こうしてたよね、そんな“あいつ”になりたいというか、そうありたいと願っている。なぜここでこんなこと書いたかは私自身もわからないし、映画のくだりとはなんの関係もないかもしれないのだが、私の中ではすごく関係しているし、最近やることとか考えることがたくさんあるのか、思考停止したくなるときもあるが、やっぱり人間は常に自分で考えて行動しなければならないし、話をしないといけない。苦しいこととか悲しいこと、辛いこと、しんどいこと、ダルいこと、そんなものは誰にだってある。もちろん楽しいこと、うれしいこともある。今まで自分が見てきたもの、経験してきたこと、聞いてきたこと、考えてきたこと、それらを通して、そんな中で自分の考え、行動が紛れもない“自分自身”である。人と違って当然だし、合わせる意味もないし、こう考えると本当にいろんな人がいるということ。そんな中でも、自分だけは“まとも”でありたいと思っているのだ。何を書いてるのかわからなくなってきたのでこれで終わりにするが、本当にいろんな人がいるよな、っていうことである(笑)。

2017年3月4日土曜日

贈り物

 
先月の2月24日、私の友人の一人が“遠いところ”へと旅立っていった。2月20日には一緒に遊び、最後のお別れをしたのである。旅立つ前日には最後のLINEの連絡をした。20日の最後の別れのときには、「3年なんてあっという間やで!!」というノリでいってまえ!!みたいな感じでお別れをして、けっこう軽い感じでお別れをしたのである。
 2月27日の夜9時ごろ、部屋でぼーっとしていたら突然インターホンが鳴ったのである。荷物を頼んだ覚えもなかったし、amazonで買い物をした覚えもなかったので、「誰や?」と思いながら玄関のドアを開けて観ると、配達のおじさんがいて荷物を届けてくれたのである。依頼人の名前を見てみるとその友人からの荷物であった。正直めちゃくちゃびっくりしたのである。急いでその箱を開けてみると、スターウォーズのフィギュアと手紙が入っていた。どうやらこの手紙を書いたのは私と最後にあった20日の夜みたいである。その日遊んだことの感想を書いていた。そういえば20日遊んだとき、表参道のおもちゃ屋さんで、ショーケースに入っているフィギュアをみながら「こうちゃん(私の名前)だったらどれがいい?」と聞かれたのを思い出した。4,5体くらいのフィギュアのランク付けをした。その中で1位を付けたフィギュアが贈り物の中に入っていたのである。その友人はそういう“ベタ”なことをしないヤツと思っていたのだが、そういうヤツがこういうことをすると効果抜群であった。手紙を読みながら泣いてしまったのである。やられた。あいつの“勝ち逃げ”である。
 その友人がどこへ行ったかは具体的には書くことができない。書いてもいいのだが、今はまだそんな感じではないかな。会うことはほとんでできないところである。外国へ行ったというわけでもない。とにかく“遠いところ”なのである。「今まで時間をつくってくれてありがとう」と手紙に書いていたが、私が彼を満足させてあげられるようなことができたのかは、はなはだ自信はない。とにかく会えるときは会っていた。2時間くらいしか会えない日もあったがそれは本当に貴重な2時間であった。彼にはタイムリミットがあった。時間というのは永遠にあるものだと錯覚しがちだが、彼といるときはその時間というヤツをすごく気にしながら遊んでいた。
 彼とよく待ち合わせをしていたのは、渋谷のツタヤの1階か新宿駅南口の小田急線の改札である。解散するのはさきほどの小田急線改札か、渋谷のバス乗り場かどちらかであった。20日最後に待ち合わせしたのはツタヤで、別れたのは小田急線の改札であった。最後の別れはハグをしていつもの握手をして、そしてV8ポーズをして別れた。最後に会って以来、数日が経過しているが、何度かその渋谷、新宿は訪れているのだが、渋谷だったらいるはずもない友人がもしかしたらツタヤの1階にいるかもしれない、とか、新宿南口小田急線改札の前を通るたび、最後に別れたあの時ときの光景の残像が蘇ってくる。いつも気が付いたら立ち止まってしまっている。私はこういう意味のないことは大っ嫌いなのだが、ついついそうなってしまうのだ。最後は軽い感じでバイバイをしたのだが、27日彼からの贈り物を受け取ったとき、なんだか急に現実味を帯びてきて、改めて彼は“遠いところ”に行ってしまったのだなと、ズシンと心に重くのしかかってきた。まあ考えていてもしょーがないのだが。フィギュアはスターウォーズに登場するストームトルーパーの戦国武将バージョンで、スターウォーズは観たことがないのだが、そのストームトルーパーはめちゃくちゃカッコいいので好きなのだ。しかもその戦国武将バージョンは格段にカッコいい。すぐに箱から出そうと思ったのだが、彼と再会できる3年後に箱から出そうと思った。それまで箱にしまったままにしておこう。彼との会話の続きは手紙でのやり取りになる。それができるだけでもありがたいな。人生いろんなことがある。何が正しいとか、何が間違っているとか、そんなものは存在しない。自分の物差しで他人を図っても何の意味もない。そんなものはファックオフである。いちいち文句を言うヤツには言わせておけばいい。自分が納得する生き方をしているのかどうか。それが大切なことである。3年間友人と会えないかもしれないが、私と彼が3年後も友人であることに変わりはない。再びほどけた糸が交差する日を楽しみに待ち続けることにしよう。また彼と一緒に東京の街を歩ける日を夢みながら。

2017年2月16日木曜日

悪党ルパン三世

 早くも2月の中旬となり、まだまさ寒い日が続いているのだが、ほんの少しだが暖かい日差しがさす時間も出てくるようになった気がする。先日までは西日本で雪がたくさん降っていたみたいで、鹿児島でも雪が降っている映像を観た。山陰地方はさらにすごい雪でもう大変だったみたいである。私の実家の大阪はただ寒いだけであったみたいだが。大阪も東京もそれほど雪が降る場所ではないので、それだけでもずいぶんと生活しやすい。普段あまり雪が降らないところは、急に雪が積もったりしてしまうと電車などがすぐに止まってしまうのでそれが大変である。今年はそれがほとんどないのでよかった。まだ雪は降るかもしれないが、このまま暖かくなってほしいものである。

 
先日、今映画館で上映している映画、『LUPIN THE ⅢRD 血煙の石川五ェ門』を観てきた。私はアニメはほとんど見ないのだが、ルパンシリーズは大好きなので常にチェックしている。とはいっても最近のテレビシリーズはめちゃくちゃ面白くないので全然見ていなかったのだが、この劇場公開の作品は最高におもしろい。PG12指定がある作品で、これはテレビ放送される日はないだろう。今回の作品はシリーズものになっていて、この作品の前に『次元大介の墓標』という作品がある。これもめちゃくちゃおもしろい。もちろん作品の題名の通り、前回は次元大介にスポットを当てていて、今回は五ェ門にスポットを当てている。このシリーズで出ているルパン一味は悪党なのである。ルパン三世1stシリーズみたいにハードボイルドな作風で危険な匂いがして悪党なのだ。最近のルパンは完全にいい人扱いされているが、元々は完全に悪党である。宮崎駿が作ったルパン『カリオストロの城』がだいぶ印象を変えてしまったのである。これは原作者のモンキー・パンチもインタビューで答えており、あれは宮崎さんが作ったルパンで俺のルパンじゃないと。どこへ行ってもルパンといえばあの宮崎ルパンを思い出す人ばかりで、そしてあの優しいルパンばかり印象に残っている人が多く、それにウンザリしているみたいだ。私もあの宮崎ルパンをおもしろいと思ったことはない。しかし、今回の作品は危なくて危険なルパンが帰ってきたという感じで、見応え十分な作品である。前回では“次元の本気”を観ることができたし、今回は“最強になるまでの五ェ門”を観ることができた。上映時間は前回も今回も約1時間という短い作品で前篇後篇に分かれている作品であるが、時間の短さを感じさせない内容の濃い作品で、最後まで突っ走る感じである。出てくるキャラクターたちが本当にカッコイイ。前回でルパンは、「別に俺たちは正義の味方じゃねえ」と言うし、五ェ門は敵を切り殺しまくるし、こういうルパンが観たかったんだと感動している。1ヶ月限定上映なのでもう一回は観に行きたい。

2017年2月6日月曜日

よりテキトーに

先日、一緒に働いているスタッフの方一人がインフルエンザにかかってしまい、私を含めて3人で働いており、二人出勤でお店を回しているのだが、インフルエンザということで出勤できなくなってしまったので、急きょ休日に出勤しなければならなくなってしまった。こういうときは人数が少ないところでやっている職場は大変になってしまう。もう一人一緒に働いている方はシフト通りに来てもらうようにして、一日だけ私一人でお店を回さなければならない日もあった。私一人ということでもちろん休憩は取ることはできない。幸い、働いている百貨店はお客さんの数が少ないということもあり、そして私が働いているお店自体がヒマ?ということもあり、売り場の横にちょっとした厨房があるのだが、そこでこっそりお昼ご飯を食べたりして何とかその日を乗り切ったのである。ヒマだからといってもやはり一人でお店を回すというのは大変であった。ヒマでも売り場に立っているということでそれなりの緊張はあるので、開店が10時で閉店が20時だが、10時間は緊張しっぱなしということになる。そして二人分の仕事もしなければならなくなる。トイレに行きたくなった時はお隣のお店の方にちょっとだけお店をみてもらうようにお願いをして走って行ってくるのである。その日はなんやかんやいっても疲れてしまった。まあそういう日もあるよなとそんな感じであった。本来なら他店に応援を頼んだり、本社に連絡を入れたり、などしなければならないのだろうけど、どこのお店もギリギリでお店を回しているし、応援を呼ぶにはいいが、それまでにいろんな手続きなんかしなければならなくなるし、ある意味こっちの方が大変というか面倒にもなるので、どうしたらいいのかわからなくなってくる。今回は私一人でやったが、何かあったときは対応しきれなくなってしまうので、本来ならもう一人誰か入ってもらうのが正しいだろう。でもなかなかそうできないのだな。


一緒に働いている男性のスタッフの方とよくいろんな話をしているのだが、本当に自分でも思うのだが、何に関してもものすごくテキトーなのである。よくこれで生きてこれたなと自分でもほめてあげたいくらいである。そしてこれからもテキトーにやっていくんだろうなとそんな感じだ。お店でもそうだが、仲のいい友人と会うときでも私が発する言葉の9割は汚い言葉の連発であるし、ほとんどくだらない話であるし、もう本当にテキトーなのである。このブログ上では一応ではあるが正しい言葉使いになるように努めている。書いていることはそうであるし、友人と話をしているときも内容としてはそうなのだが、表現の仕方が全く違うというかブラックというかそういう表現をしている。このブログはある意味“私の部屋”みたいなものであるし、これからもこんな感じでテキトーに書いていくのだが、今まではもしかしたらカッコつけて書いていたかもしれない。それは正しい表現になるようにという意味である。それほど変わりはしないだろうが、ここは“私の部屋”であるのだから気を使わずに、何か言いたいことがあったときはブラックな表現も使っていこうかなと思う。話し言葉を入れていこうということである。これまでもテキトーにやっていたが、よりテキトーにやっていこうということである(笑)。そういいながらもほとんど変わらないのだが。最近よく私の周りというかいろんなところでメンタル面での悩み事を抱えている人の話をよく聞く。というか耳に入ってくる。一概には言えないが、几帳面な人、真面目な人、完璧主義な人、周囲の目が気になる人、責任感が強い人、感情表現が苦手な人、自己責任の意識が強い人、などなどそういった人がメンタル面で悩みを抱える人が多いみたいであるが、私ははっきりいってどれも当てはまらない。こういうメンタル面での悩みは本当に健康上良くないのでそうならないように、どれだけストレスなく生きていくかが私のモットーでもあるので、よりテキトーに、そしてくだらない感じで、改めてこういう感じでやっていこうというものである(笑)。楽しいのが一番である。